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愛されることが価値だと思っていた

私は子供の頃に声が出なくなったことがある。
もちろん、病院には連れて行ってもらえず、かすれた声を出して話すと家族に笑われた。
そして声が出ないことで中学でいじめにあい、凍ったペットボトルで頭を殴られたり、空き教室に閉じ込められたり、万引きをしたと悪評を流されたりした。
そんな経験をしても、私は積極的に誰かを嫌う素振りなどを見せなかった。
それでも家庭環境よりはずっとマシだった。

誰もが自分に興味がなく、姉がよく髪を掴んで引きずり回したり、なわとびで鞭ごっこと称し、体中になわとびを当てて遊んでいた。
肌は蚯蚓腫れであちこち血が滲み、痛いを通り越して悲鳴が上がるほどだった。
お腹の上に飛び乗って何回やったら吐くかなどの遊びもされた。
母は無関心だし、私が吐けば怒られるのはいつも私だった。

ああ、ここでは私の価値はないんだと痛感する日々だった。
夢の中で唯一優しくしてくれたひよばあを思い出して、いつか迎えに来てくれる妄想で、自分を慰めた。
思い返すたび、幸せで涙が出た。優しいその手に抱かれ、もう大丈夫と言われることを夢見ていた。
声をあげて泣くと、殴られるのでずっと声を殺して泣いていた。
きっと母は気づいていたと思う。でも無関心だった。

ある日、いじめに耐えきれなくなり、母に学校に行きたくないと話をしたことがある。
息もできなくなるほど殴られ、「周りの人間に不登校の娘がいると思われたら、恥ずかしくて生きていけない」
そういわれて、自分は心底愛されていないのだと学んだ。

姉に「早く死んじゃえばいいのに」「お前が生きててうれしい奴なんていない」そういわれるたび、愛されることは人間の価値なのだと刷り込まれていった。

自分を見る人の面を見れば、わかることがある。
私は犬のおもちゃと同じだと。
壊れるまで噛みついて遊ぶだけの存在。
でも仕方がない。だって私はそういう存在なのだから。
人に愛されるわけがない人間なのだから。
そう思うには理由があった。私は自分を傷つける存在を愛せなかった。
生ごみみたいに思っていた。
母と離婚した父が、家族に隠れて私に性的ないたずらをしていたことも。
いじめにあっても守るどころか、私を切り捨てて体裁を保とうとする母親も。暴力をふるって遊ぶ姉も。
とても愛せるものではなかった。

私の人間不信はここから始まっていたのかもしれない。
父が最後に言った言葉は「お前みたいな子供いらなかった」
ひよばあだけしか家族の中で本当に私を愛してくれた人はいなかった。
その頃の私にとって、ひよばあ以外はみんな敵だった。

家族の相談をしていた友人は、母を殺すようにそそのかし、目薬を飲み物に混ぜれば殺せるなどを嘘を吹聴して、
実行したことを話した瞬間、大笑いし、「ほんまにやったんや!!次いつするん?」とのたまった。
友達だと信じていた他の友人は迷惑そうに、いじめられていた私をいないものとして扱い、いじめが収束してからわざと先生にわかるように私に言った。
「どうして相談してくれなかったの?」

この世の中が全部腐って見えていた。
この世の中の人すべて、自分本位で優しさのかけらもないと思っていた。
それでも、思い出のひよばあは決してそんなことはなかった。
あの人はいつも自分のために怒らないのに、家族や友人のためにはすごい怒る。一緒に泣いてくれる。
大好きだよ、宝物だよと私を心底大事にしてくれた。
私の記憶の中で、あの人だけはきれいな存在だった。

毎日、夜に顔も見たくないと追い出され、公園で空を見上げると月が出ていた。
満月にもならない欠けた月なのに、きれいすぎて涙が出た。
きっと、こんな環境にでもならないと月が綺麗で泣くこともないだろう。
ずっと、美しいものはひよばあだけだと思ったのに。
息を吐けば、凍る寒い空気の中で、月明かりが温かく感じて優しさに思えた。
涙があふれて止まらないほどの、優しさに思えたのだ。
自分に明かりを向けてくれる存在はいなかった。淀んだ視線に気づかないふりをし続けた。
悲しいと泣いたって、誰かに手を差し伸べられる環境にはいなかった。
自分のことを自分で救わなきゃ、落ちていく一方だった。
バカみたいな話なのだけど、あの頃の私の救いはひよばあとお月さまだけだった。

それ以外にきれいなものなんて、一つだってなかったのだ。
大人になってもそれは変わらず、生きてるのが不思議なほどボロボロで、精神的にもどんどんおかしくなっていった時に、死ぬ前に自分のことを知ってほしくなった。

死ぬ前に、自分の歌が歌いたくなった。
だからVOCALOIDサークルを作り、歌詞を書き、自分の人生の歌を作った。
その中で出会った絵師さんに家族の話を少しだけした。
その時に「そんな家族を愛そうとしなくていい」と言われ、初めて誰かの言葉に救われた。
家族を愛せないのは私が人間として、ダメだからだと思い込んでいた。
選んでいいんだ。自分で自分のことを決めていいんだとわかった瞬間、世界が広がった気がした。

だからこそ言えることがある。
タイムカプセルを掘り返すときに、同級生と話したのだけど。
その話した同級生に私と関わらない方がいいと吹聴していたくそみたいなやつら(*´ω`*)お前ら、やってることふりかえってみろよ。
私の方が被害者だぞ。
お前らの方がよほど関わらない方がいい人間だぞ。ばーか。
と今なら言える。

よくよく考えれば、おかしな話なんだ。
被害者は私だ。何もかも努力し続け、人を愛する努力だって、人となじむ努力だって、介護も、家事も、勉学も全力でやり続けたのに。
なんで私が死ななきゃいけないんだ。死ぬならお前らが死ねよ。って私は本当は怒って自分の価値をはったりでもいい。
誰に愛されなくていいから、自分で主張しなきゃいけなかったんだと
今更になって気づいたよ。

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