天上の花 -彼岸花- ✎
俺、相馬主計がそう問いかけると、彼の人は苦笑いをしながら静かに頷いた。
「そうだな。相馬、次にあの赤い花を咲かせてあの世へ行くのは、俺かもしれないぜ」
「副長、縁起でも無い事を言わないでください」
「副長か…そう呼ぶ連中も、すっかり少なくなっちまったな」
「俺の中では貴方は新選組副長、土方歳三以外の何者でもありません!」
今にも消えてしまいそうだった。
だから引き止めたくて…俺は声を荒げた。
しかしそんな事は無駄だと知っている。
いつかは消える。
俺達が誰かの命を絶つように、何時か誰かが俺達の命を終わらせる。
それは俺達が自ら己に負わせた命運だからだ。
「彼岸花はよ、『天上の花』なんて粋な名前があるんだぜ。知ってたか?」
「いいえ。そのような知識は、俺には必要ありませんから」
「くくっ…お前らしい答えだな」
俺が思うに…
副長はロマンチストな傾向があると思う。
その証拠にこの後副長は、彼岸花をわざと曼珠沙華(まんじゅしゃげ)と呼び、その呼び名が法華経の法典に由来するだの、仏教では白くやわらかい花を指すだの、彼岸花の汚名を晴らすかのように言葉を続けた。
(彼岸に咲くのだから彼岸花で十分だと思うが…。それにどれもこれも、生きる事にも戦いにもまったく無関係だ。いや…もしかしたら、兵法や戦術に繋がる何かがあるのかもしれん)
俺は真剣に、副長の言葉に耳を傾ける事にした。
「言っとくが、今の話は兵法も戦術も関係ねぇぞ。単なる戯言だぞ」
「………はぁ…」
一度押し殺したため息が口から漏れた。
「憶えておけば、何時か話のネタにはなるだろうよ」
「ネタなんぞ俺には必要ありません」
「長く生きてたら、話のネタの一つや二つ持ってねぇと、頭が固いだけのつまらない男だと言われるぞ」
「構いません」
長く生きられる保障などどこにもない。
俺達は常に生死の間に生きているのだから。
「なぁ…相馬」
「はい」
「いつか俺がお前に告げた約束は、まだ生きているな?」
「はい」
「なら受け取れ」
「…」
差し出された封書を、俺はただ黙って受け取った。
あれから三年は経ったのだろうか。
明治二年五月十一日、弁天台場へ向かう途中で副長が戦死。
同年五月十五日、俺は恭順の書状に新選組局長として署名をした。
副長に何かあれば俺が新選組局長となる事、これは副長と交わした約束だった。
この日の出来事は、長き戦いの終わりへの序章であり、新選組が終焉へと歩き出す瞬間でもある。
逆賊として罰せられた俺は明治三年、新島へと流罪に処された。
新島で罪を贖いながら生きる俺は、ここで人並みに妻を娶る事となる。
マツは本当に出来た女だ。
多くを語らない俺に、ただ黙ってついてきてくれる。
俺のちっとも面白くない会話に、声を上げて笑ってくれる。
「旦那様、ご存知ですか?彼岸花は赤だけではなく白もあるんです。土方様がおっしゃっていた曼珠沙華は、その白い彼岸花を指していたのかもしれませんね。でも、旦那様のおっしゃる通り、あの花は彼岸の頃に咲くのですから、彼岸花という呼び名が相応しいと私も思いますよ」
そんな彼女と出会えた俺は幸せ者なのだと…心からそう思った。
だが、俺にはやり残している事が一つだけある。
それをすればこのささやかな幸せは壊れる。
マツの幸せを、俺がこの手で壊す事になる。
それでも…俺はそれをしなければならない。
交わした約束は、最後まで守らねばならないからだ。
『この手紙はお前が開ける時が来たと思った時に読んでくれ。内容は大した事じゃねぇ。今の話と同じ、単なる戯言だ』
部屋の中央に座した俺は、あの日に差し出された手紙を手に取り、封を切った。
この手紙は副長の遺書だと思っている。
だからこの手紙を開封してしまったら、あの人は逝ってしまう、そう思った。
だから開けなかった。
今思えばそんな呪いじみた事は、まったく意味を成さなかったのだが。
手紙を開くと、懐かしいあの人の文字が目に飛び込んで来た。
それだけで複雑な感情が胸に湧き上がり、不覚にも涙が零れそうになる。
深く息を吸い、俺は静かに手紙へと視線を落とした。
相馬主計殿
お前がこの手紙を目にしているって事は、俺はこの世にいないって事だろう。
そうあって欲しいと願っている。
上手く言えねぇが…これはお前への謝罪みたいなもんだ。
俺が死んだら、新選組の全てをお前に任せる
お前のやり方で新選組を終わらせてくれ
こんな呪いじみた言葉をお前に託した事をここに詫びる。この言葉は毒となり、お前の全てを壊しちまったかもしれねぇ。そうじゃなくても、お前の全てを奪い取っちまっただろうな。
それでも、俺にはお前しか思いつかなかった。
すまねぇ。
謝罪の言葉をどんなに羅列しても仕方がねぇとわかっている。
この手紙は俺の唯一の良心と…それと単なる自己満足でしかない。
そんな手紙を黙って受け取ったお前に、謝罪以外かける言葉もねぇが…
最期まで走り抜けたお前に深い感謝を贈る。
土方歳三
「副長…貴方が俺に与えた毒は俺の生きる糧の一つでした。貴方の言葉があったから、俺はここまで生きて来れたのです。感謝しているのは…俺の方だ」
俺が終わらせたとしても、新選組は生き残った者の中で生き続ける。
それは呪詛のような恐怖であり、輝かしい栄光であり、逆賊と言う汚名であり、懐かしい思い出でもある。
誰にも消す事は出来ない。
それでも俺は俺なりに、俺のやり方で新選組の幕引きをする。
それがあの日の彼の人と交わした約束だからだ。
俺は目の前にある短刀を手に取り、静かに鞘から引き抜いた。
「副長…生きる意味を与えてくれて、こんなにも大きな役目を俺に与えてくれて、本当にありがとうございました。そして俺に最期まで武士として死ぬ事を許してくれた事に、深く感謝しています」
腹に熱く、強い痛みが走った。
「ぐぅ…」
歯を食いしばり、そのまま真一文字に刀を走らせる。
「がっ…」
そして抉るように引き抜き、刃を喉へと当てた。
(マツ、すまない。そして…今までありがとう)
一気に短刀を引いた。
次の瞬間、俺は眼前の障子に釘付けになった。
(綺麗だ…)
そこには毒を含んだ彼岸花が咲いていた。
それは怪しくも美しい天上への符。
全てを終えた俺は往く。
ꔛ𖤐
先にアップしました『天上の花 -曼珠沙華-』の対となるお話です
『曼珠沙華』と同様にアメブロに掲載(アメブロは別名義)していたものの再録です
このお話には、妻であるマツ目線のお話があり、それもいずれ載せたいと思ます
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