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大好きな愛犬とのお別れ

大好きな存在を失ったので、感じた様々な感情たちをここに残しておこうと思います。

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愛犬が死んだ。
大好きで大好きでたまらない天使が、この世界から消えた。

ついにこの時が来てしまった。
いずれ必ず向き合わなければならない残酷な現実が、突如私の目の前に現れてしまった。

金曜のお昼、ベルの呼吸が止まった。

息をしない。
まばたきもしない。
全く動かない。

ベルの生命活動が、幕を閉じた。


ベルの呼吸が止まって、
とにかく強烈な悲しみがダムの放流のように溢れ出てきた。

ベルが1ヶ月前に餌を食べなくなったことが皮切りに、実家に飛んで帰った。
ベルの身体はどんどん弱っていった。
数えきれないほどに痙攣が起きて、何かを訴えるように鳴き続けて、お腹がキリキリと音を立てて、息を荒げて、もう見ているのが辛すぎた。

出来ることなら、変わってあげたかった。苦しんでる姿を見るのは、自分が痛みを負うよりも辛い。
でも私は何もしてやれなかった。
大切な存在が苦しむ姿を見るキツさと、無力感による自己嫌悪感で、私自身ももうボロボロだった。

だから、ベルの息が止まった時、もう苦しまなくて良いね、楽になったね、良かったね、と
砂嵐が過ぎ去った時のようにホッとした自分もいた。

辛かっただろうな。
痛かっただろうな。
怖かっただろうな。

急に弱っていく自分に戸惑っただろう。
動きたいのに動けなくて辛かっただろう、悔しかっただろう。
それに何よりも、痛くて苦しくて何が起こってるのか分からなくてたまらなく怖かっただろう。
(自分がいつか死ぬことを知ってるのは人間だけだ。)

そして、いつだって今を全力で生きるわんこにとっては、苦しみに耐えるだけのその時間がたまらなく辛かっただろうなと思う。
だから息を引き取って、安らかに眠れて、楽になれて良かったと心から思った。

でもまた同時に、ベルを失ったという鮮烈な悲しみで溢れた。
ダムの決壊の如く止めようがない悲しみ。

目から大量の水滴がボトボトと落ち続ける。

どんよりと霞んだ世界で、
私の手のひらの中で自ら光っていた光が、
塵になって風に乗って、
消えた気がした。

息が止まっただけでなんでこんなに悲しい?

冷たくなってしまったベル。
ベルの身体は目の前にあるのに、呼吸が止まった途端、ベルがいなくなってしまった気がした。
ベル?どこに行ってしまったの?
そんな感覚だった。

途端に強烈な悲しみが襲ってきたのは、やっぱり息が止まってからだ。

まだ目の前にベルはいる。
でももう生命の気配がしない。
どうして息をしなくなっただけでこんなにも悲しくなるのだろう。

息が止まった途端、ベルをベルたらしめる魂が、ベルの身体からスルッと抜け出して消えてしまったような気がしたからか。

息が止まる1週間前から、もう意識は朦朧としていて、ただ息をしているだけのベルだったけど、
それは確実にベルだった。あまりにも変わり果てたベルだったけど、ベルの魂はまだそこに宿ってるって感じがしてた。

でも、息が止まって心臓が動かなくなった途端、ベルがいなくなってしまったように感じたのだ。

ベルをベルたらしめるものが何なのか分からないけど、もしそれが仮に魂なんだとしたら、それは息をしていて動いている身体に宿るものなのか?

真相はわからないけれど、とにかく、ベルの命の息吹が尽きた時、ベルの魂との別れに涙が止まらなかった。

ベルの魂が宿っていた身体との別れ

ベルの魂は消えてしまった。
でもそこに横たわる冷たくなったベルもなお、ベルをベルたらしめる姿だった。

だから、そのベルの魂が宿っていたあの愛おしいフォルムをした身体が灰になってしまうことが、
たまらなく悲しかった。

まん丸とした目も、
首元のもふもふも、
びっくりするくらい短い手も、
少し黒色が混じった毛色も、
変な形をした左耳も、
感情バロメーターの長いしっぽも、
こういう物理的な存在もまたベルだった。

ベルは本当に死んでしまったの?
もう息を吹き返すことはないの?
本当に焼いてしまうの?
焼いてしまえばもう元には戻らないよ?
本当に死んでしまったの?

このふわふわした愛おしい姿のベルと、本当にお別れをしないといけないの?

目の前の現実を拒否してる自分がいた。
目の前の現実を否定しまくってた。受け入れることを猛烈に拒んでいた。
そんなはずない!もしかしたら息を吹き返すかもしれない!って。

私は本当に、本当に、この小さな存在に救われてたんだなと痛感する。

その存在が、物理的にも精神的にもいなくなってしまう気がして。
やめて!!!お願いだからそんな無慈悲なことしないで!!
と誰に対して訴えればいいか分からない叫びを、空気に向かってひたすら吐き出していた。

ベルは本当に、私にとって人生のセラピストだった。

ベルと出会わなければこんなに悲しむことはなかった?

今は悲しくて悲しくてたまらない。
辛すぎる。
こんなにも辛いものなのか。

こんなに悲しむくらいなら、じゃあいっそのこと出会わなければよかったっていう話なのか?

確かに愛するものを失うことは、当たり前のように辛い。

でも言い換えれば、
これだけ悲しむほどに、私はベルからたくさんの幸せと喜びと癒しをもらってた。
とも言える。

死別という一瞬の出来事による強烈な痛みに目が向きがちだけど、
これまでの長い間、愛することによる喜びを得てきたはずなのだ。

最後が必ず悲しみで終わってしまうのは残酷だけど、この強い悲しみを凌駕するほどの幸せがたくさんあったのは紛れもない事実だ。

今は悲しくて悲しくてたまらなく辛いけど、
でもベルと出会わなければ良かったなんて、一ミリも思わないなって思った。

悲しみも愛も全部抱きしめて

あの愛おしい姿をしたベルは、私が今生きてるこの世界線にはもういない。
私が大好きだったあのベルは、もういない。

そうやって失ったことばかり考えると悲しすぎて溺れてしまうから、
これまでのたくさんの幸せな時間を全部全部抱きしめて生きていきたい。

あのかわいいベルはこの物理世界にはもういないけど、ベルの存在はずっと私の中の精神世界にいる。
私の中にもいるし、物理的にも実際は姿を変えてこの地球上のどこかにいる。

灰になってしまったけれど、土に帰って地球の一部になった。
少なくともこの地球上にはいる。
そしてまた誰かの生命体の一部になって、その生命体も死んで、また地球に帰る。
地球はその循環をずっと繰り返していく。

私だっていつか死ぬ。
いつか死んで、土に帰って、また生命のバトンを回していく。

地球上では、多様な生物は少なくとも約5億年も前にはいた。
そこから種が地球環境に合わせて進化しながら、たくさんの生と死を繋いできて、今に至る。

そんな地球の果てしなく長い歴史を考えると、私もいつか100年後にはきっと死んでるし、100年なんて地球のこれまでの歴史と比べれば些細なもんだ。
この悲しみの期間なんか、雀の涙ほどだ。
そう考えれば、この悲しみも乗り越えられなくはないかもな。
なんて思った。

ベルが死んでしまった事実は否定したくてたまらないけど、今も無意識的には否定してんのかもしれないけど、ベルも、その地球が何億年も繰り返してきた軌道にのって姿形を変えていったんだと思うと、ベルが死んでしまったこともなんとか受け入れられそうな気がする。

命あるものはいつか必ず死ぬ。
でも私にはまだ命がある。
だからいつか死ぬその時まで、たくさんの喜びを感じられるように生きていきたいな。

ベルのおかげで私は愛を知った。
ベルのおかげで私は強くなれそうだ。

まだまだ悲しみは当分消えなさそうだけど、ベルはきっと泣いてる顔よりも笑ってる顔の方が好きだと思うから、前を向いて生きていけるように頑張ろう。

ベルみたいに、その時の一瞬一瞬を大切に生きていけれたらいいな。

2023/11/26
羽田空港

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