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同年代と遊ばないけど人づきあい大丈夫?

お久しぶりになってしまいました。
mint green*不登校児とその家族の平日昼間の居場所の千絵です。

学校に行かないとどうしても同年代の子どもとの交流が減りますよね。
わたしは勉強より何より、この人づきあいのことが心配でした。

数少ない心を許せる友達である幼馴染のTちゃんとの会話や、
たまにご近所でばったり会う学校の友達との会話、
教育支援センターの先生との会話、
放課後登校で会う担任との会話などなどが本当にひどくて
ちょっと人としてどうなんだろうか、と本氣で悩みました。

人と会うのが怖かった

その当時、むすめはよく
「誰かに会いたくない」
「誰かに見られたくない」
と言って、
スーパーなどにも行かなくなり
外出する時は
小学校の登下校時間を避け、
どうしてもその時間に重なってしまう時は
ものすっごい遠回りをしていました。

人と会うのが怖かったこと、
特に同年代は同年代に厳しいので
会いたくなかったそうです。

当時わたしが思っていたことは

とはいえ、やっぱり友達関係の中でしか
育まれないものがあると思うと
「学校に行ってほしいとまでは言わないけど、せめて同年代と関わってほしい」
とわたしは思っていました。

親を始めとした大人とばかり関わっていると
大人は良くも悪くも配慮をするので
むすめにとってはすごく楽なため、
自分から積極的に関わろうとすることをやめてしまうことがありました。
でも、社会に出れば同年代と仕事をすることもあるし
コミュニケーションを自分から取ることは大切だよな、
とも思っていました。

自分から取りに行くことができるようになる

でも、子どもが外に出て行く元氣が貯まって
外に出られるようになった時には、
自らコミュニケーションを取るようになるのです。

それこそ最初は酷いものでしたが
今ではだいぶ安心して見ていられるようになりました。

人と関わることに恐怖心を持っているのに
マトモな関わりを期待するわたしが間違っていたのです。

例えばの話

わたしは歯科恐怖症です。
昨日、やっと歯医者に行くことができたのですが、
こわいと思っている場所にいるだけで
手は震えるしマトモな受け答えはできないし治療中に泣くしで、
他の患者さんと比べたら相当酷いものでした。
小さなお子さんも来てましたが、
彼女たちの方が人としてよっぽどちゃんとしていました。笑

でも、担当の歯科医さんがとても優しくて
(そういう歯医者さんを選んだ)
過去のトラウマの話を聞いてくれたりもしたし
もし治療がここでできなかった場合の話や
わたしがどう治療して欲しいのかなど
寄り添ってくださったおかげで
(まだ挙動不審でこれからのことに不安はありますが)
最後にはだいぶ人としてきちんと話せるようになりました。

これと同じことなんですよね。

氣づいたこと

わたしが家の中で社会に通用するコミュニケーションを
どうにかできないかと思ったところで
どうにもなりません。

というより、家庭の中で教えようとして
学校と同じように先生と生徒の立場を作ってはいけない、
と氣付いたのです。

安心できる場所を作ろうとしているのに
それを奪ってどうするんだ、と。

そして、コミュニケーションを身につけてほしいと思っているのはわたし自身で、
むすめは1ミリもそんなことは思っていないこと、
むすめが傷つかないようにと過干渉であったことにも氣づきました。

まずは外に出ることから

子どもが自分から外に出ていける元氣が貯まった時、
そこからコミュニケーションを学んでいきます。

それじゃ遅くない?!
と思うのも当然ですが、
失敗しなければ次も同じことをして
どんどん孤立してしまうんですよね。

小中学校の時に友達と話していたら
急にギクシャクしちゃった経験はありませんか?
それがまさに練習の時なのです!

そして親の見えないところで
はるかにたくさんのことを子どもは学びます。

小さい時にだけしかコミュニケーション能力は
育まれるのではありません。

大人になってからも学べるのです。

だから、同じことで胸が押しつぶされそうになっている人がいたら
だいじょうぶだよ、と背中に手を当ててあげたいのです。

こちら、中1になったむすめが文化祭の実行委員になって司会をしているところ。
彼女なりの苦労もあったと思いますが、こんな姿が見られるとは!



余談ですけど、次の歯医者は1月5日です!

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