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『いつもふたりで』沢野実&イーデス・シファート

素敵な本です✨
60代で出会い国際結婚したおふたり。
言葉でコミュニケーションが難しいけれど、きちんと相手と向き合い心を遣い相手を理解し受け入れていく。
結局はこころ、なんですね。

空想カフェMilk Hallでは、オーナーママお気に入りの素敵な本がたくさん✨

本文より…………

ボクらはね、美しいものをお互い美しいと感じあう共感でね、結びついてる。それがふたりの関係の源泉というかね。

もし想像力が人間になかったら、人生はどんなにつまらないものか。わたしはこの力がある限り、こころ豊かに生きていくことができるわ。

「教育」というのはね。教え育てると書くでしょ。ボクはね、勉強を教えるよりも、生徒の天分を見いだして育てること、心を育てることが大事なんやからと思っていて、授業のときもそっちに重点を置いていましてね。

平凡にやってきた、何ということはない人生ですわ。ガイジンと再婚したけどね、同じ人間同士なわけやし、別に特別なことでもないし。平凡に、ありのままでいるのも、けっこう難しいのかもしれへんけどね。

ボクたちはね、自分の意志で、「生きている」のではなく、「生かされている」。それに対して感謝の念を持たないと。ボクは派兵されて死を覚悟していたのにね、間一髪で戦いを免れたりした経験から、「生かされている」という思いがますます強くなりましたね。自分の力だけで「生きている」なんて思いあがりでね、謙虚に「生かされている」と自覚できたら、煩悩はなくなる。それだけでありがたくて、自然に微笑みが出てくるように思うんですわ。
大切なのは「今を生きる」こと。過去にとらわれたり、未来を思い悩んだりしすぎては、今が見えなくなってしまいますわ。この瞬間、この一日を精いっぱい生きる、そうして初めて幸せも感じられるいうことやないかとね。
幸せというのはね、意識せんでもそういう気持ちで満たされているというのが一番。もうひとついえばね、こんこんと湧く泉のように喜びが湧き出てくる、これがほんとうにええんですわ。そこまでいけばほんとに楽しい人生やと思うけどね。ボク?まだまだや。

自分だけの時間はぜったいに必要だわ、それに自分だけの空間も。夫婦だからって四六時中いっしょにいればいいってものでもないし。

会話ということを考えればね、21年間ほんまに会話なんてできてへんもん。でもね、ボクらは人格的に同じレベルにいたと思うんですわ。向こうの純真さとボクの純真さで通じてきた。

言いたいことはそりゃいろいろありましたよ。でも無理なんだから、そこは以心伝心でいくしかないと。向こうはどうしても言いたいことがあると、日本語が話せる友だちを介して伝えてきたこともあったけどね。ボクはありのままに物事を受け入れてますから、自分のできる範囲で伝えようとね。日が照るもよし、雨もよしってね。ことばが通じなくて不満やなあと思ったら、それこそ泣きっ面に蜂でしょ。
人間大切なのは「思いやり、譲り合い、助け合い」の三つですよ。向こうに対しては、それをちゃんとやってきたつもりですよ。ことばが通じないぶん、そりゃ努力はしたし、気も遣ってきましたよ。

わたしとミノルは、一生懸命相手の言うことを聞いて、自分の言いたいことを伝えようとしてきたわ。よく聞けば、けっこうわかるものなのよ。ミノルはかつて、うまく言えないと紙に書いてくれたりもしたわね。
いま、世界中で夫婦のディスコミュニケーションとか、カップルでいても孤独だとか、そういうことが問題になっているわね。現代は家庭のなかに娯楽がいくらでもあるでしょ、テレビにコンピュータ・ゲーム、インターネット、そして携帯電話…。たとえことばを交わしていても上っ面だけで、ちゃんと意思の疎通が行われていなかったりするんじゃないかしら。
そういうことを考えると、人と人がわかり合うためには、ことばはひとつの手段にすぎないと思うわ。本質的なことではない。少なくともわたしたちの場合はそう。感じるこころが近いほうが、よっぽど大切なんじゃないかしら。

さっき、わたしたちがどうやってコミュニケートするのか聞いたわよね。「エンパシー」よ。これはけっこうハイレベルよ、人や生き物の内面を見なくてはいけないから。

(エンパシーとは、他者や他の対象のなかに、自分の感情を移し入れることです。相手の身になる、相手の気持ちになることの極み、とでもいいましょうか。)

生まれ育った文化の違いは、こうして生活のふとしたところに顔を出しますが、ふたりとも無理に相手に合わせることはありません。認め合うというよりは、ミノルさんは「しゃーないなあ」、イーデスさんは「明治マンだものね」とひそかに思い合っているのです。

ボクはね、死ぬことは怖くない。霊魂不滅だからね、また出直してくるからね。死んで終わりじゃないでしょ、死はターミナルだから。出発点であり、終着点でもある。終着点についたと思うとまた出発する。だからね、ほんというとね、死というのは悲しんではならない。一番最後じゃないからね。

ボクは水のような心で生きてきた。流れのままに、あるがままを受け入れてやってきた。向こうと結婚してからもそうですわ。合わせられるところはあわせて、譲れるところは譲ってね。

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