東日本大震災後のモスクワの日本大使館での出来事

『続々日露異色の群像30ー文化・相互理解に尽くした人々ー』という本がある。2019年12月に出版された。

この本の序文は、『「東日本大震災」に見る日露間の心の絆』というタイトルで、河野雅治(2011年当時は、駐ロシア連邦特命全権大使)さんが書いている。

私は、この序文を読んで、東日本大震災後のモスクワの日本大使館で起こった出来事を初めて知ったので、一部を引用して紹介する。

2011年3月11日。突然の悲報に接し、呆然自失の私は、翌土曜日、虫の知らせか一人大使館に向かったが、そこで目にした光景は衝撃的だった。休日で閉館中の大使館の敷地を取りまくロシア人の長い列。私は感動とともに、ロシア人の精神性の高さに圧倒された。その中に耳や鼻にピアスをした若い女性のグループがいた。彼女たちは私に「犠牲者に祈りを捧げます。そして私たちの連帯の気持ちをお伝えしたい」と一言述べて静かにその場から去って行った。月曜日に出勤すると、正面入り口は花束と手書きのメッセージの山で、最早通り抜けることさえ不可能になっていた。
(略)
ロシア人の精神性の高さにくわえ、その時私の心を揺さぶったロシア人気質の別の一面は、彼らの際立った行動力である。モスクワっ子の自発的な行動は兎も角、ロシア政府の動きも早かった。日本もロシアも性質は異れ、自然とともに生きることを運命づけられている。ただしその自然に向き合う姿勢は、日本であれば、「自然とともに生きる」のだろうが、ロシアでは「自然と対峙して生きる」と言えようか。ロシア非常事態省は即座に緊急救助隊を被災地に派遣することを決定し、日本側からの反応を待たずに出発してしまう。その救助隊は自給自足のプロフェッショナル集団で、移動の車両も燃料も持参、人命救助、遺体の回収だけを目標に日本側に頼ることなく全力で被害現場に臨んだ。そして極めつきは、メドヴェージェフ大統領夫人の大使館の弔問の場面だ。その場で大統領夫人は被災地の遺児をロシアの避暑地に招待することを言明した。有無を言わせない姿勢にはロシア人の真の強さを感じた。
(略)

『続々日露異色の群像30ー文化・相互理解に尽くした人々ー』P.8~P.11


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