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FISHだ!!JOE全話考察 シーズン1

2020年、コロナ禍で制作されたカルト映画『スペース・カウボーイ』。株式会社おくりバント高山洋平氏(@takayamayohei1)と中野シティ・アンダーグラウンドの人々が生み出す即興的な魔界は映画の伝道師である私の目を驚かせた。頭でっかちな映画や広告に溢れた今だからこそ、四畳半程度の小さな世界から生み出される宇宙、全身ビールコーデを施す異次元のファッション、『チーチ&チョン スモーキング作戦』を彷彿とさせる底抜けに明るくドラッグな展開に感銘を受けた。

その続編に当たる『どうした ファイヤーラード?Macho your name?』ではパーソナルジムREAL WORKOUTの広告を軸に、高山氏演じるファイヤーラードが筋肉の化身に翻弄されながら、この世の真理にたどり着く様子がシュールに描かれている。昨今の広告が「短い時間で売り込む」という暑苦しさで描かれがちなことに反発し、20日近くかけてじっくりとREAL WORKOUTの哲学をユニークに投影させていく代物であった。

さて、2021年から始まった新シリーズは「釣り」がテーマである。『FISHだ!!JOE』は、朝定エージェントにして釣りの伝道師「竿頭」である蛎田氏(@KazuhiroKakida)が高山氏演じるJOEを真のフィッシャーマンにすべく技を伝授していく熱い物語である。

今回も例のごとく私チェ・ブンブンが一見ライトに見えるドラマに隠された鋭い映画技法、魅力について読み解いていくとしよう。

第一話『ARE YOU OYSTER??』

誰しも知っている物語をトリガーに独自の観点を持ち出すテクニックがある。

例えば『映画 すみっコぐらし とびだす絵本とひみつのコ』では、すみっコぐらしのメンバーが絵本の世界に監禁される。「桃太郎」や「マッチ売りの少女」などといった誰しも知る話をDJのように繋ぎ合わせて、絵本がある種の「仮想世界」であることを提示し、そこから大人のインスピレーションも刺激する物語を紡いでいった。

また、アルベール・セラの『騎士の名誉』ではドン・キホーテの物語から有名な風車に体当たりするエピソードを排除し、ひたすら荒野を歩くドン・キホーテを描くことで、意識高い系ドン・キホーテの虚構と虚無を強調させた。

『かぐや姫の物語』では変化球なく「竹取物語」を描くことで、ジブリアニメの力強さを世に知らしめた。

さて、『FISHだ!!JOE』の始まりは「浦島太郎」の引用から始まる。JOEが釣りをしていると、何故か剥き身の牡蠣を釣り上げる。

「なんだよ!」

と放り投げると、人間が出現する。牡蠣だ。蛎田氏である。

蛎田氏は、竜宮城で執事をしていて助けてもらったお礼に竜宮城に案内することを違う。しかしながら、竜宮城に入るには「真のフィッシャーマン」になる必要がある。さらには、家出した乙姫様を発見しなくてはいけないのだ。

基本ルールを提示して『FISHだ!!JOE』は幕を開ける。

しかし、よくよく考えてみると、ジャンプ系漫画における主人公のように既にJOEには才能があるのだ。なんたって、投槍で垂らした糸は、牡蠣をの剥き身を抉り出すのだ。幾ら、蛎田氏が引き寄せられるように釣り竿に食らいついたとしても運と技術を持ち合わせているのは変わりない。

JOEは気づいていない、既に真のフィッシャーマンだということに。

さて、ここからどのような進化を遂げるのか楽しみだ。

第二話『BECOME REAL FISHERMAN』

助けた牡蠣に連れられてタチウオを釣りに来たJOE。しかし、早々に乙姫様(くつざわさん→@kutsuzawa_desu)が見つかる。一気に竜宮城行きかと思いきや、真のフィッシャーマン修行が始まる。釣り竿や謎の機械が眼前にたち憚る。荒ぶる波も重なり混沌を極めるが、意外なことにJOEは堂々とタバコを一服する。圧倒的貫禄、面構えに真のフィッシャーマンの後光が差し込むのだ。

本作は、「浦島太郎」を引用しているが、いきなり竜宮城ライフを始める原作に対して、地上のドラマに力点を置いていることが分かる。この時点での分岐が物語の転がる方向を予測不能にさせ、魅力に繋がっていると言えよう。

乙姫様がどのような役割を果たすのか楽しみだ。

第三話『SET A TRAP』

映画における「手」の役割は重要だ。

犬も歩けば棒に当たると言うけれども映画においては「手」が動かすことで物語は動くと言える。例えば『死霊のはらわた』では、森の小屋に行く。不気味な小屋で大人しくしていればいいものの、「死者の書」を触ったせいで悪霊を呼び覚ましてしまった。2020年末にNHKで放送されたジブリ最新作『アーヤと魔女』では、人を操る能力に長けた「操る」ことアーヤがいかに魔女に触れて洗脳できるかの攻防を描いており、「猫の手も借りたい」と語る魔女に対して、頭部と尻に手を生やすことで思いがままに操ろうとしていた。手で人を操る演出は、1920年代のサイレント映画『芸術と手術』から既に存在しており、殺人鬼の手を移植された男が身体の乗っ取りと対決する姿が魅力的に描かれている。このように、映画において「手」はサイレント映画時代から魅力的な対象として描かれ、往年の映画監督があの手この手で「手」を映してきた。

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※(上)『鉄路の白薔薇』より手の中に世界を描く様子(Sabzianより引用)
※(下)『スリ』より盗みを働く手(Phantom Lightningより引用)

さて、『FISHだ!!JOE』第三話での主役は蛎田氏の手である。

ローマは一日にして成らず、テンヤの習得も一日にして成らず。

蛎田氏から「テンヤ」という仕掛けを教わるJOE。しかし、感覚的な技を習得することはなかなか難しい。継承と習得の困難さを、何をしているのかよく分からない構図に落とし込みJOEへの感情移入を促している。

JOEの背後から覗きこむように蛎田氏の手が映されるが、緻密すぎてよく分からないのだ。かといって、蛎田氏の説明は感覚的職人的なので実際に手を動かさないと習得できないことを暗示させている。この絶妙な距離感によって、観る者にJOEへの共感を促すのだ。

才能はあれども技の習得の難しさを示す本作は『呪術廻戦』における虎杖悠仁の轍に通じるものがありました。ただ、『呪術廻戦』とは違い、安易なボケに走らず、例えば「テンヤ」から大手チェーン店の「天丼てんや」を連想する小ボケを発さないところにJOEのストイックさが滲み出て好感が持てます。

傑作です。

第四話『イワシだよッ!新正月!』

「誰が見てもこうしかつけようがないですよ」

蛎田氏の明るくも鋭利な眼光は「助けた亀に連れられて」のあの亀とは格の違いを突きつける。真のフィッシャーマンの道は険しくイバラ道であることを示す。

「もう次から自分でやってください」

と釘を刺されたJOEは海に「テンヤ」を投げるが、糸が絡まる。しかし誰も助けてくれない。修羅場と化したJOEのスパゲッティコード化された糸を外しが開幕する。フィッシャーマン足るもの一度は経験する糸絡まりとの死闘を生々しく描く。

フィッシャーマンの物語をストイックに描こうとする強い方向性を感じる回である。

第五話:『はじめてのフィッシュ』

釣りのルールを教わるJOEは感覚的な指導からラーメン二郎との共通点を見いだす。ちょっぴり怖い蛎田氏に怯えながらもレーダーを頼りに糸を垂らしてみる。まだ、手探り段階なので釣れる兆しは見えないのだが、そこへタチウオの群れが現れる。果たして彼は釣り上げることができるのだろうか?

次回に期待だ。

第六話:『キレ気味カキダ先生!』

適当なテンヤを強引に水中に投げ入れるJOEに苛立つ蛎田氏。水中では戦争が繰り広げられているのに、のほほんとしているJOE。テンヤも態度も適当が故に糸が切れてしまう。成長物語のクリシェに従い、主人公が調子乗る回となっており、その後の成長に期待高まる転換期と言えよう。

第七話:『縦の糸はカキダ、横の糸はイワシ』

テンヤ 作りに励む回。しかしながら延々と輪っか作りに苦戦するJOEに観ている方ももどかしさを感じる。だが、ここで助けたらJOEは真のフィッシャーマンにはなれない。

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※(上)第六話より新鮮なエサ
※(下)第七話より時間の経過とともに変色したエサ

なので蛎田氏も乙姫様も無視を決め込みます。そして蛎田氏の朝定を食べたアピールや餌の魚の茶色く変色した有様をもって時の経過の恐ろしさを定時する。

果たしてJOEはタチウオを釣り上げることができるのだろうか?

第八話:『違う、そうじゃない』

テンヤの作り方が全くなっておらず蛎田氏に圧をかけられる回。

魚も命をかけている為、ポンコツなテンヤではタチウオが釣れる訳ではない。餌の変色具合からJOEがいかにテンヤ作りにてこづっているのかが分かる。それだけ最初の関門は困難なのにJOEはヘラヘラしており、観客は段々と不安になっているだろう。

何と言ってもすでに8話もかかっているのにJOEは一匹も釣り上げられてないのだから。しかしながら、あれだけ魚に見えないテンヤを作っていたJOEが魚らしいフォルムのテンヤを作り上げるところに成長を感じます。

本作はコメディドラマに思いきや、真のフィッシャーマンを育て上げる様子を描いた作品。

面白いことに2000年代に存在したストイックな修行を捉えたバラエティ番組「ガチンコ!」を踏襲しつつも、今のパワハラ問題を踏まえてアップグレードされた教育法を次々と提示してくるので、教育番組として一流だと思わずにはいられない。

第九話:『DON'T THINK』

隠れ裏ボスは乙姫様回!

よく、ゲームやアニメで味方に思えていた者が真のボスだったりする。本作において真のボスキャラは乙姫様だ。第二話であっさり発見された乙姫様は満面の笑みでタチウオを釣り上げる。余裕の表情で釣り上げる彼女こそが最強である。『呪術廻戦』の五条悟が素顔を明らかにし圧倒的強さを魅せるように次々とタチウオを釣り上げる乙姫様に流石の蛎田氏も焦るのかと思いきやすぐさま気を取り直して、

「釣りというのは自分のペースを崩すと絶対に釣れなくなるんですね」

と語る。自分の機嫌は自分で取る。自分の焦燥は自分で鎮める。メンタル面で強靭な蛎田氏の側面が垣間見える回だ。

そして、これが次回への伏線となってくるわけです。

第十話:『FISH‼︎‼︎』

かつてあっただろうか?十話もかけて魚を釣り上げる釣りドラマが!その大半が、仕掛けと格闘している為、漫画だったら即打ち切りであろう。しかしながら、実際の釣りはそれだけ時間がかかる。プロですら、結局は運次第で釣れない時はトコトン釣れない。そのリアリズムを優先させた本作における感動は計り知れない。

泥臭い、生臭いFISH,FISH,FISHな死闘が「Don't think,fish」の精神領域へと突入したJOEの覚醒によって終劇となる。しかし釣れても、水中の闇に逃げるかもしれないハラハラドキドキするタチウオとJOEの泥沼な闘い。最後の最後まで生臭い戦いの末に辿りついた勝利に、JOEだけでなく観客も歓喜に包まれることでしょう。

第十一話:『入れ食い願ってシェイキング!』

前作の大勝利によって新境地に達したJOE。もはやテンヤも手慣れた手つきで作れるようになったものの、横を見れば蛎田氏と乙姫様がガンガンタチウオを釣り上げている。そうです。まだ最初の関門をクリアしただけなのです。テンヤ作りのスピードの格の違いを見せつけられたJOEは

「俺も早く釣りたいよぉ」

と焦燥にかられるが、丁寧にテンヤを作ったおかげで一番大きいタチウオを釣り上げる。量よりも質の強さを証明することで、JOEは己に宿る真のフィッシャーマンの素質に気がつく。

即興的ドラマでありながらも、完璧なストーリーになっている面白さが堪りません。

第十二話:『カモメカモンベイベー』

当シリーズ定番のサイケデリック回。毎シリーズサイケデリック回は傑作であり問題作なのですが、今回は『スペース・カウボーイ』、『どうした ファイヤーラード?Macho your name?』のサイケデリック回を凌駕する傑作である。

第十話でタチウオを釣り上げ、第十一話で最大のタチウオを釣り上げたJOEであったが、おにぎりを食べ、スポーツドリンクを飲み、一服タバコをふかす。横を見れば乙姫様、蛎田氏が釣り上げているのに、彼は一向に何もしないのだ。するとカモメのざわめきがサイケデリックな不協和音を奏で始める。

彼は何故、釣りを始めないのか?一度成功すると失敗するのが怖くなる。その精神状態を前衛的な画で魅せる回となっている。底抜けに明るいが、空間がヒリヒリと心の底にある不安を浮き彫りにする方式はバート・ランカスター演じるマッチョが裸でプール巡りをする中で心の底にある虚無が浮き彫りとなってくる『泳ぐひと』を彷彿とさせられる。

第十三話:『稽古不足を船は待たない』

あれあれあれ?どうやら、「あしたのジョー」さながら燃え尽きてしまったJOE。黄昏に生きるJOEは、精神世界の中で過去の栄光を引きずり、気がつけば釣りは終わっていた。

そんな彼を慰める乙姫様。

『FISHだ!!JOE』は蛎田氏のスパルタ教育に対して飄々としつつもJOEの間を使った哀愁が漂う。スポ根映画の熱量とアキ・カウリスマキ映画のようなオフビートな哀愁表現が絶妙に絡み合った作品である。即興的演出がどのように物語が進むか分からないスパイスとしての機能を持っており、回を重ねるごとに旨味が出てくるスルメシリーズと評価することができます。

第十四話:『 お手柄!竜宮CREW🐟』

貴方はお気付きだろうか?

あれだけFISH!FISH!と無双していた乙姫様を蛎田氏が制圧していたことに。自分のペースを信じて7匹同点に並ぶ。しかし、決して自慢したりはしない。それはスポーツマン"フィッシュ"に則っているからだ。この演出によってふとあることに気づく。それは『FISHだ!!JOE』の主役は蛎田氏なのでは?ということに。

LETO-レト-』という作品がある。ソ連の伝説的アングラバンドКиноが結成されるまでを前衛的に描いた本作は、一見、松山ケンイチそっくりなヴィクトル・ツォイがカリスマであるマイク・ナウメンコに従事して、音楽性の違いに苦悩しながら自分の道を見出していく話に見える。しかし、何度か観ていくと実は自分の地位を確立したマイク・ナウメンコが新しい才能を見出し、自分の限界を意識しながら裏で若き才能を助ける話となっていることに気づく。

『FISHだ!!JOE』も何度か観ていくうちに、JOEの才能を見出す蛎田氏の物語となっており、JOEの時として見せるやる気なさに対して良き見本であり続けようとする姿が捉えられていると言える。

それだけに今回、スポーツマン"フィッシュ"を見せつける蛎田氏の威厳には後光が差していて感動しました。

第十五話:『JOEはまだまだ三枚目 』

タチウオ三枚おろしの講義を受けるJOE。象形文字のような図で理解しようとする姿に『どうした ファイヤーラード?Macho your name?』との接続を期待させられるが、ここではスルーとなる。JOEの心象世界を描くことが優先されている。

「真のフィッシャーマン」としてまだ認められない彼は、不快感漂う音の世界で三枚おろしの練習をする。この世のものとは思えぬ音の世界で捌かれるタチウオは幻かもしれない。第十二話、第十三話で描かれた精神世界を踏まえてのカモメサウンド故、JOEの妄想かもしれない不安が押し寄せてくるのです。しかしながら、妄想の世界であっても蛎田氏の捌きよりかは劣っている為、JOEは自分の実力を正確に認知していると言えよう。故に「真のフィッシャーマン」の称号までは意外と近い。

第十六話:『不器用だJOE』

乙姫様役を演じるくつざわさんが『フェイシズ』のリン・カーリンさながら、重厚な演技を魅せてくれる回。

浦島太郎において乙姫は、物語を彩る装飾の役割を果たしているが、その単色に『FISHだ!!JOE』は奥行きを与える。見下したようにJOEを見る乙姫が、語りたいような語りたくないようなモヤモヤした空気をもって空間を制し、何かを察したJOEが地雷原を縫うように彼女を癒す姿の緊迫感が堪りません。

ここにきて第二章始動!

どうなることや?


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