山野弘樹「VTuberがVTuberとして現出するということ」感想
2022/7/24(日)Zoom上で哲学若手研究者フォーラムが開催された。今回、初めて哲学学会というものに参加してみた。大学時代から哲学には興味があったものの、単位を取るのが難しそうと思い避けてきたものがある。実際に哲学学会ではどのような発表がなされているのかという好奇心は社会人になっても持っていた。
さて今回、山野弘樹さんの発表「VTuberがVTuberとして現出するということ」に参加しました。今年の3月にVTuberの独特な世界観に惹き込まれて追っていく中で、哲学の領域から研究している彼を見つけたのである。山野さんはVTuberだけでなくゲームの実況配信に関しても興味深いツイートを数多くされており非常に参考になると感じている。そんな中、満を期してのVTuber論発表の場がやってきたのだ。
実際に参加して話を伺うと、映画やアニメはもちろん、HIKAKINさんなどの現実の姿で活動するYouTuberの動画を観た時に感じた感覚との差異が言語化されており、またこの発表から新たな視点や問いが生まれて来た。自分は哲学の専門家ではないのだが、情報の整理も含めて軽く感想、メモ書きを残していくことにする。
1.VTuber=穏健な独立説
VTuberの動画に接すると、2つの観点が出てくるのではと考えられる。
1.配信者タイプ
2.虚構的存在者タイプ
1はHIKAKINさんが配信するときや、私che bunbunがスペースで映画話する時に近い、いわゆる「中の人」がアイデンティティを直接「HIKAKIN」や「che bunbun」というアバターに乗せるようなタイプ。
2は『ウマ娘 プリティーダービー』の「ゴールドシップ」のような虚構の世界の中に出自を持つタイプだ。いわゆるアニメに近い虚構を演じているようなタイプと言えよう。
この観点を踏まえるとVTuberは現実かフィクションかという構図が生まれるであろう。しかし動画を観ていくとそのカテゴリに二分できないことが分かってくる。ではVTuberをどのように捉えればいいのか?山野さんは「穏健な独立説」を唱えている。配信者とアバターが相互作用することでVTuberが現れるというものである。
これを聴いて、物述有栖さんが5時間に渡り心音をきかせるASMR動画に対する視聴者の反応とアンディ・ウォーホル『スリープ』に対するFilmarksでの困惑した態度の差が説明できるように思えた。
物述有栖さんの動画の場合、「配信者」の心音、それに対する「アバター」の動き。これが連動して生まれてくるVTuber「物述有栖」。それを視聴者は楽しみ癒されているのであろう。
一方、アンディ・ウォーホルの『スリープ』は、当時のアンディ・ウォーホルの恋人であったジョン・ジョルノが寝ている動画であるが、それを知っていたとしても困惑する動画となっている。それは彼をジョン・ジョルノではなく、「人」として捉えているからとも言える。その証拠に、『スリープ』を「ジョン・ジョルノ」の動画として観るだろうか?といった問いを投げかけたい。恐らく、多くは「アンディ・ウォーホルの映画」として観にいくであろう。
一方、物述有栖さんの動画、「物述有栖」の動画として観る。だから、配信者とアバターの連動により生じ生まれる「物述有栖」という存在に視聴者は癒やされるのであろう。
さて、話を山野さんの論考に戻すと、「穏健な独立説」を唱えた際に生じる幾つかの例外について言及する必要があると3つのパターンから分析を行なっている。
■例1:配信者が運動するパターン
1つ目は配信者が運動するパターンだ。発表では「ROF-MAO」の「にじさんじ無人島」の例を挙げていた。この動画は未見であるが、イメージとしてはぽんぽこチャンネルが時たまやる、現実の風景を映した動画が近いだろう。「【お題はこの世の全て】48時間以内に森羅万象で借り物競争したら凄いことになった…。」ではウミガメに餌やりするピーナッツくんが収められているが、画としてのピーナッツくんが不在の瞬間がある。また、VTuberがスペースでトークを行った時、我々はどのように扱っているのだろうか。
■例2:配信者の運動が不在のパターン
2つ目は配信者の運動が不在の場合。VTuberは3Dアニメーションを製作する例があり、発表で紹介あった「ホロのぐらふぃてぃ」のようにアニメ作品として作られた場合虚構上の出来事になってしまい、VTuberとしては現に存在していないのではという疑問が出てしまう。自分の知っている例と重ねると犬山たまきさんのアニメ作品やピーナッツくんのアニメを観る時に視聴者はどのように捉えているのかという観点だろう。
■例3:配信者とアバターの動きが硬直化するパターン
3つ目は配信者とアバターの動きが硬直している例だ。VTuberの動画を観ていると、途中で機材の不調で動きが硬直化する例もある。また、凸企画では一部のVTuberは配信者とアバターが連動しているのに対し、ゲストは立ち絵だけの場合ある。これをどのように考えるかの観点である。
これらの問題を解決するために山野さんはアリストテレスにおける「デュナミス(可能態)」と「エネルゲイア(現実態)」を用いて論じている。
2.アバターと身体的に連動していない配信者を「VTuberでない」と判断できるのか?
上記のパターンを説明するために、山野さんは『たとえ配信外であったにせよ、アバターと身体的に連動していない配信者を総じて「VTuberではない」と判断することは果たして妥当なのか?」と問いかけている。
木材が職人の手にかかると、「木材」から「机」に変わる。アリストテレスの「デュナミス(可能態)」と「エネルゲイア(現実態)」を適用することで、配信者の存在を捉えようとしている。
この話に関しては、勉強不足で難しいところがあるのだが、私なりに理解してみる。ぽんぽこチャンネルの場合、よく食べ物を扱った動画がアップされる。中には現実の動画を映し、そこにぽんぽこさんはピーナッツくんが映らない場面がある。だが、その状態でも我々はぽんぽこさんやピーナッツくんをVTuberとして認識し、二人の動画であることが意識される。また、タガメや激辛フードを食べる場面では、手にそれらを持たせることはできない。だから画面上では、手が口元に運ばれる状態となっているのだが、我々は二人が食べ物を食べている状態だと認識する。
配信者はVTuberとして実態を持つけれども、実態を持つ前の状態であってもVTuberとして存在している。これを可能態とみなし、視聴者はシームレスに可能態と現実態を行き来する。だからVTuberとしての認知が、崩壊することなく視聴できているのではないだろうか。
それを踏まえると、おめがシスターズのような顔だけアバターの状態での配信、ピーナッツくんのような着ぐるみ状態での配信を観てもVTuberとしてシームレスに鑑賞することが可能だと山野さんは語っていた。
3.兄ぽこの扱いをどうするか。
山野さんの発表を聴いて、VTuberにおける関係性が少し見えてきた。配信者とアバターが重なりあい、VTuberが現れる。では「配信者」や「アバター」の存在が希薄になった時の扱いをどうすればいいのかと考えた際に、現実化する可能性のある存在として配信者像があることで、視聴者は無意識ながらシームレスに可能態としての配信者やアバター、それが現実化する現実態としてのVTuberを切り替えながら鑑賞していると言えるそうだ。
では、このように考えた時に、ピーナッツくんにおける兄ぽこの存在はどのように考えたら良いのかは新たな問題提起になるのではないだろうか。
多くのVTuberは「配信者」を定義する言葉は持っていないように見える。一方、ピーナッツくんに対しては「兄ぽこ」という概念が存在する。ピーナッツくんは配信者である自分のことを「ご主人様」と呼ぶ。ぽんぽこさんや、視聴者は「兄ぽこ」として配信者としてのピーナッツくんを見る。では、兄ぽこが3D化した時に、我々は何を観ているのだろうか?
また、ピーナッツくんの「配信者」は時として、「デニムくん」や「コバルト田中隊長」、「レオタードブタ」として振る舞う。それも同時に現実化することがある。この場合に、我々はどのように配信者を扱っているのか?
これに関してはまだ言語化できていないところがある。ここは掘り下げると面白いかもしれない。
4.『her/世界でひとつの彼女』について
自分は映画畑の人ではあるので、VTuberがこのように分析される状況で『her/世界でひとつの彼女』を再考する必要性を感じた。本作は、ホアキン・フェニックス演じる男が人工知能OSの声に恋してしまう話である。AIなので「配信者」の存在はいない。しかし、映画を観る時より、ゲームをする時よりもOSとの対話に親密さ感じてしまう。将来的にAIが発達して、VTuber動画が自動生成される時代が来るかもしれない。そうなった時に、今回の理論はどのように発展していくのか?また本作が作られたのはVTuberが盛り上がる前の2013年だ。キズナアイさんすら存在しなかった時である。VTuberが身近となり企業タイアップも多くなってきた今、『her/世界でひとつの彼女』を分析すると新しい発見が生まれることは明白であろう。
同様に、役者をアバターとして買収する世界を描いた『コングレス未来学会議』も再考が必要な映画に見える。
論文を何度か読み直し、例に出された動画も追っていく必要があるが、改めてVTuberは面白い世界だなと感じた。私が『2001年宇宙の旅』や『ファイト・クラブ』、『パルプ・フィクション』、『マルホランド・ドライブ』を観て衝撃を受け映画にハマったのと同様の熱を帯びた文化だと感じました。
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