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俺と椎名林檎

ある日「小さい頃、なんかナース服で歌ってガラス割ったりしてる女の人いたなぁ」と、ふと思い返した。
確かCDTVで流れていたそれは音楽よりも映像の印象がかなり強く、当時小学生だった俺の記憶に強く残っていた。

検索したらすぐ彼女がヒットした。椎名林檎と言うらしい。
記憶の通り、ナース服でガラスを割っていたがそれよりも歌がいい。
折角だし、他の曲も聴いてみようと思った。

「えっ?この車が真っ二つになってるアレもこの人なの!?」

車好きだった少年にはなかなか印象深いミュージックビデオだったそれを思い出した。小学生男子にはなんか怖い印象の映像だった。
俺はどうやら「本能」「罪と罰」どっちも出会っていたようだが、これが同一人物の作品という認識をしてなかった。

これも椎名林檎だと知ると、俄然興味が湧いてきた。

見つけた瞬間から好奇心のボルテージは上がっていた。
俺はその当時リリースされていたアルバムは全て聞くことにした。

当時椎名林檎はアルバム3枚で終わりと銘打たれていたこと(※1)で、その活動スタイルにも興味を持った。
「なんでこんなかっこいい曲を作る人がアルバム3枚だけで終わりなんだ?知りたい!」
とにかく俺は曲を知ることが先だ!と思い、いつものTSUTAYAへ向かった。

俺は「勝訴ストリップ」「無罪モラトリアム」「絶頂集」とレンタルした。
「加爾基 精液 栗ノ花」は借りなかった。理由が二つある。
一つはアルバムのジャケットを見てチキってしまった。
単純に物々しい雰囲気を感じたのか。いや、ただ16歳の多感な少年はその時思考が交錯していた。

タイトルに「精液」って入っている!しかも読みはザーメンである。
やましいものではないのは解っているはずだが、俺の心は恥ずかしがっていた。
今となっては一体何がそんなにと思うかもしれないが、当時の椎名林檎はポップスとは言っても一風変わっている感が強かった。
しかも、その時代はセルフレジなんて無い。
レジで打たれる際はスタッフがバーコードを読み取り、あの値段とか出るアレにカタカナで表示される「カルキザーメンクリノハナ」を想像しただけで、恥ずかしかったのだ。
その上、その店舗はたいして仲良くもない同級生がバイトしていた。

何というかそういう変なのを聞いてると思われるのが恥ずかしかったのもあったのかもしれない。(※2)

だが曲を聞いたらそんな気持ちはあっという間にどうでも良くなった。
恥ずかしがることなんて何もないくらい格好良かった。
特に「勝訴ストリップ」は本当にツボに刺さっていた。
感情を吐き出している楽曲が多いのがかなり気持ちよかった。んんーっ絶頂エクスタシー
そんな状態になった脳に流し込んだ「無罪モラトリアム」も最高だった。というか既に彼女の歌ってだけで最高になっている。逆百腕巨人ヘカトンケイルの門番状態である。何打っても入る。

そして…「絶頂集」だが、まずこのCDはTSUTAYAではアルバム扱いだが、内容はシングル3枚。しかもライブ盤である。
俺は先の「椎名林檎」「アルバム3枚」という情報を入手していた俺はレンタルする時にはそれだけあれば十分と思っていた。
「加爾基 精液 栗ノ花」を借りなかった理由のもう一つである。
つまり、3枚だと思ったアルバムがもうちょっとあって、その時何を借りたらいいか迷った挙句、ジャケットが可愛かったのでこれを選んだ。
ちなみにアルバムは他にも「唄い手冥利」というカバーアルバムもあったが、それを見分けるくらいはできた。もちろん後で聞いた。

というミスはあったが、もちろん知らない曲が入っている。知らない曲サイコー。
しかも「メロウ」という名曲が入っている。
「お前はきっとナイフを使う僕に恐怖を覚える」「蔑んでくれ」
歌詞全文載せたいくらい好きだった。メロウ含め、天才プレパラートの楽曲は感情の吐露と言った表現が似合う曲で、そういう要素が大好きだった10代の頃、一番聞いた椎名林檎の楽曲は確実にこれである。
余談だが後に東京に来た時、「橙色は止まらない、黄色を探して乗り込め」がしたくて中央線沿いに住む。バカである。

それからB面にも目をつける。が、なかなか音源としては入手しづらいこともあり聞けるものだけ聞いていたが、(これはその2年後くらいに私と放電が出る事で解決する)知らない曲を追うのならやはり最後の一枚を聞くしかないのでは?と考えた。

「加爾基 精液 栗ノ花」を聞かなかった理由は先のレンタル問題以外にもあった。
このアルバムの情報を知ろうとすると、まさに賛否両論だったことだ。
苦手な人はずっと苦手なままなんだろうか。
とにかく絶賛もあれば、苦手という声も多かった。「無罪」や「勝訴」はあれだけ凄い!最高!と言った声があったのに対して、明らかに半々でそういう意見があるように見えた。
しかも「無罪」や「勝訴」の楽曲は調べれば聞くことが容易かったのに対して、「加爾基」の楽曲は探してもあまり出ない。

つまりほぼ何も知らない状態で、賛否のあるアルバムということしか情報を得られず、なかなか踏み切れずにいたわけだ。

何も情報が無いで聞くのは少し怖かった。
「人間プログラム」を聞いたときはそんなことなかったのに。
自分の「好き」を認知してしまうと、好きになれなかったらどうしようと考えてしまうものなのかもしれない。

そしていよいよ俺はこのCDを再生する時が来た。
冒頭から確かに今までの椎名林檎ではないとはっきりわかった。

結論から言うと俺が今まで聞いてきた価値観だったりをまた一つぶち壊す作品だった。
整然とした曲目やブックレットに対し音はむしろ生々しさが凄かった。

「深入りすると戻ってこれなくなりそうな空間だった。和洋折衷な装飾が施された古い建築物に迷い込んだようだった。
ただ、夢見心地というわけでもない。そこには俺たちの日常とあまり変わり無い生活臭がした。
でもそのどれもが作られたもののように感じる。演技をしているようにも見える。
その空間は、何だか儚さを孕んでいて、何かに触れたら崩れそうだった。
慈しまなければいけない、全ての物は終わりがあるように。」

上手く言えたもんじゃないが、俺はこのクセは強いが中毒性のあるお菓子を、いまだに食べ続けてしまっている。

彼女からはいろいろ影響(※3)を受けたのだが、ただほとんどの場合きっかけに過ぎないので具体的にどうといったものより、その後の影響下に派生するものに対するスタンスなんかが一番影響を受けたかもしれない。
結局それって別に椎名林檎じゃなくてもそうなっていたのでは?と思うところもあるが、絶妙な生々しさを残すことはいまだに受け継がれている気がする。

(※1 この情報を見たのはいつだったか定かではないが2000年代中頃で、いくらインターネットが情報に溢れているとはいえ、時代的な偏りも結構ある気がする。何しろこの時点では東京事変を知らなかった。)

(※2 絶頂はいいのか!と言われる気がするが、当時愛読していたテニスの王子様で「んんーっ絶頂エクスタシー!!」とか言ってるイケメンが居たので大丈夫。)

(※3 影響について強いて上げるなら初めて買った楽器のカラーは、彼女とほぼ活動を共にした亀田師匠と同カラーのベースだったり、指輪だったり、巻き舌で歌うことだったり。後はブログに付けるタイトルを漢字+カタカナにしていた。痛てぇ~)

最近はニュース(ヘルプマーク事件)で話題になっているし、対応やら何やらは確かにと言った部分に世間同様思う上で、ファン目線でかつて下剋上で使っていただのなんだのは言うのは野暮だなと感じているが…何かもうちょっと上手くやれたのではないかなあ…何て思ったりもする。いい音楽を作っているからこそ、こんなことで話題になるのは悔しい。


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