キツい話

未だに足踏みをしてしまっているんだろうか。
時折、いや、というより過去の記憶の中を旅すると必ず引っかかってくる気持ちの一つがあった。
それは自分の中で昇華しきれていないからなんだろうけど、かと言って掘り返すには、勇気の必要なことだった。

***

私は自分の苗字が嫌いだった。
その理由は小学生のころまで遡る。

水泳が嫌いだった。
私は泳げなかった。水の中で目を開けるのもできなかった。
恐らくそれは赤ん坊の頃に風呂で溺れたことがきっかけだと言われている。
それに私は、水着姿が何となく嫌いだった。
身体を晒すという言い方は違うのだけど、露出の多いこの格好はものすごく苦手だった。
何よりこれは、後の性についてのこともあるのだろうけど、私は都度「男らしくない」とか「女々しい」と言われてきたので、そういうことも実はきっかけだったのかもしれない。

そんな私がどういう理由で行くことになったのかは全く覚えていないが、一日だけ、体験でスイミングスクールに行くことになった。

水泳の内容は大して覚えていないのだけど、その行き返りにおけるスクールバスの中で、私の心のひずみが一つ生まれた。
運転手のおじさんは、大声でしゃべる陽気そうな人だ。
私は体験で入った為か、自己紹介的にバスの中で名前を言う機会があった。
名前を言うと、私の苗字と名前それぞれに、「ちんこ」と「きんたま」をつけて笑いをとった。おそらく場を楽しませようとした発言だった。
悪気なんてほとんど無いのだろう。
ただ、ただ、私は、名前を揶揄われたうえ、笑いものにされた感覚だけが強く残って、ただでさえ嫌いな水泳が嫌いになった。
きっと他の人間にはわからない。こんな名前じゃなければと思った。

そもそも小学校に上がって、私は苗字が変わっていた。
変わった理由は知らなかった。ただ「変わるんだよ」と母親が教えてくれていただけだ。

私はその頃引っ込み思案で、人前に出るのが苦手だった。
そもそもこの「引っ込み思案」も、もしかしたら自らそうなりたくてやっていた節も若干ある。
先の「女々しい」に近づく話だが、当時「UNO DX」というテレビゲームがあり、その中に出る「由良」という男性のキャラクターがいた。
彼は双子の妹がいて、彼女の方が男勝りな性格をしており、男性なのに女性的でか弱く線が細いキャラクターの、その姿を見て、私は彼のようになりたいと静かに思っていた為だ。
そんな彼の紹介文に「引っ込み思案」という一節が載っており、何だかこういう寡黙で、キラキラした美しいものになりたいに憧れを抱いていた。
そう云った理由もあってか、私は外で遊ぶでもなく、教室で絵を描くような立ち位置をこの頃から確立していたし、水泳だけでなくスポーツが出来ない人種に分類されていく。

話がやや逸れたが、苗字が変わったことによって私は前に出る機会がかなり増えた。
あいうえお順というシステムが否応なく私を前に立たせることになり、
自分の苗字嫌いに拍車をかけた。

***

それから、反抗期を迎え、親に反発をするようになった頃。
私は自分の苗字が小学校に上がるころ変わっていたことを、はっと思いだした。

忘れていたわけではなかったはずだけど、6歳前後の自我が朧げなころにあった変化を私はごく自然に受け入れていたし、それを特に大きく気には留めなかった。
だからか、その時まで自分の「父親」だと思っていた存在が、急に赤の他人のように、感じた。
勝手だがこの空間で私だけが「半分の血」でいるようで、家族の風景に馴染むのが、どうしようもなく気持ち悪く感じた。
その頃他にも上手くいかなくて鬱屈したのかは他の記事に書いているので割愛するが、反抗期に親に反発するという、ごく当たり前のことの先にあった根が深いようなものに触れてしまったようだった。

それから自然と成長をしていくにつれて、そういう表面的な反抗期は平然と終わったのだけど、父親とうまくいかなくなった時「まあ、血繋がってないし、あんたには分からんよ」のスタンスを持ち、どこか冷めた、割り切った気持ちを持っていた。

つまり私はその時くらいから、血縁上の父親をふんわりと心の隅っこに置いた。
これがその後特に何かになるわけではないのだが、この引っ掛かりが、ずっと蟠りとして残っていた。

***

あまり言葉で気持ちを言い表すタイプではなかった。
反抗期の時も、何に苛立っているかも伝えなかったし、そのタブーめいた事を口には当然出せなかった。
今の父親には、間違いなく「父親」だと思っているし、確かにややぶつかった事もあったけれど、基本的には感謝している。
助けられたことも多いし、何より好きなものを自分で選択して自分でやらせてもらった。
ただ、それはそれとして、この疑念を晴らす方法がいまだに分からないでいる。

本当ならもっと早くに聞いておくべきだった。
血縁の父親は、名前を知ることはできても、写真も何も情報が無い。
当然話題に上ることもなければ、どんな人物だったかさえも私はわからないままだ。

ただ、これだけ気に留めておきながら「会いたい」という気持ちがあるわけではないのだ。
どちらかと言えば「知りたい」が近いかもしれない。
このフワフワと足がつかないまま、足踏みをする感覚はもっと時が経てば気にならなくなるのだろうか。
この行き場のない気持ちはいろいろな作品を巡って私の血肉になって、気が付けば創作の一部にもなった。

私は先にあった「引っ込み思案」で「一風変わった」に憧れて、まさにその通りになったと思うのだけど、そうなりたかった理由は「美しくありたかったから」だけじゃなく、心の底で「人と違っていれば目立つ」ことに目的にあったようにも思う。

それはいろいろな形で表れて、私は私の作品を作ることで、有名になりたかった。
――もし私がお前の息子として活躍したら、お前は私を見つけるのだろうか。

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