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セムラ Mains Sourdough Bakery

一生この感覚に包まれていたい。
セムラを食べながら思ったこと。
お皿に取り分けるときに手についた、溢れんばかりのクリームを舐める。バニラの香りが優しくて、もうこれだけで幸せになる。チャイはカルダモン多め、インド料理屋さんでカレーにカルダモンが入ってると、あ、カルダモンだ、となり、スウェーデンではシナモンロールよりもひたすらカルダモンロールを食べていた私。カルダモン大好きなそんな私の今日のチョイスはカルダモンロールとセムラ。どちらもカルダモン!!である。

このベーカリーはずっと気になってて、数日前に2週間限定でセムラやります!とインスタで見てから、ずっと、セムラ食べたいセムラ食べたいセムラ食べたい、と呪縛のように頭から離れなかった。家から40分くらいかかるので、近所ではないが、ようやく課題も終わった今、パン屋さんに行くためだけに外出する、という選択肢がある幸せ。どうかセムラがありますように。バスに乗っても乗り換えても、バス停からしばらく歩いている間も正直ドキドキが止まらなかった。

高級住宅街のUccleにあるMains Sourdough Bakery

着いてみると、お店はあれほどインスタ等で有名なのに、ベルギーらしく、バゲットを買いに来るための近所のベーカリーでもあり、キラッキラのセムラたちもいて、幸せそのものだった。セムラは一番上に鎮座しており、売り切れないかな、という私の心配をよそに、前に並んでたご年配の方々はバゲットや大きいパンのみを買っていっていた。ああ、近所のパン屋さんだ。自制しないと食べきれない量を買ってしまう恐れがあるくらい魅力的だったので、今回はセムラのために来た、と、カルダモン縛りで2つ買った。ふわふわの生クリームのセムラは、普通の紙の袋に入っていたから、潰れないように、私のエコバッグには大切な命が入っているんだ、というくらい慎重に、持ち帰りミッションに成功した。

お店のステッカーと


家に帰ってきて、袋からお皿にうつした瞬間に、カルダモンの香りがぶわっと広がった。もうこの時点で食べる前から幸せ。この香りをずっと部屋にとどめておきたい。
一口だけ先に食べたい、と口にしたレギュラーメニューのカルダモンロールは、スウェーデンで毎日食べていたくらいカルダモンロール狂の私はなんでもっと早く来なかったのだろう、と一瞬後悔するほど、カルダモンそのものを感じられる、ドストライクの味。
セムラは綺麗にお皿にうつした後、やることを終わらせてから食べるぞ!と、視界の隅にお留守番させておいた。数時間後、シュークリーム大ほどの大きさだから、半分に切って残しておこう、と思って切ったら、フィリングが見えた。色の薄いあんこみたいな。食べてみてわかった。これが多分セムラの心臓。パン生地とクリームとフィリングと、全部一口で食べたいと大口を開けた始めの一口。脳天を突き抜けるような、幸せが体を超えて空間中に広がるような、衝撃の美味しさだった。カルダモンが沢山練り込まれているパン生地は、甘くない。ヨーロッパのパンにしては珍しく、ほぼ日本のパンみたいなふわふわの生地。例えるなら、くるみパンのくるみなしくらい馴染み深い生地だった。その生地をベースに、生クリームに覆われ隠れていたのはこの、アーモンドのフィリング。とっても甘い。だからこそ、甘さ超控えめの生クリームとパン生地と、全てが合わさったときにセムラは完成する。だが、そもそも生クリームとフィリング、どちらも溢れ出しながら食べてください、と言わんばかりのたっぷり入っていて、一口ごとに、フィリング多めで甘い部分、生クリームに包まれる部分、と違った幸せが次々にやってくる。あー幸せ。気づいたら切っておいた半分も食べ終え、ずっとこの贅沢な幸せに浸っていたいし、この感覚を忘れたくない、と思うほどに、食べ終わっても忘れさせてくれないセムラだった。

スウェーデンでこの時期だけ食べられるというセムラ。美味しさがブーストしすぎて、一体スウェーデン人はこの幸せをなんで一年のうち数週間だけに取っておくのだろう、と一瞬考えたが、あまりにも危険な美味しさだからかもしれない。毎日買えたら毎日ベーカリーに行ってしまってセムラまみれの毎日になってしまう。この幸せをわかっているからこそセムラは、春の訪れがもう少しで見えそうな、寒い冬の最後に食べるんだと思う。冬を乗り越えたらセムラの時期だ!!となるように。

ブリュッセルで過ごす最後の1ヶ月は、「やらなくちゃいけないこと」たちにほぼ解放され、お気に入りのベーカリーを見つける月間にすることにした。ずっと行きたかった一店舗目がもうドストライクすぎて、どうなるか。だけど、沢山巡ろう。


ありがとうございます。