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【純愛・ピュアラブ】純愛は自分を強く成長させるから沢山しとくと良きダ

私は今年で27歳になった。
人を本気で愛し、別れも何度か繰り返してきた。


『一緒にいて楽しいから。』

『顔がタイプだから。』

『ヤリたいから。』


それで終わる感情は愛情とは言えない。

ここで話すのは、
そのもうひとつ先にある愛情の話である。


誰しもみな人生20年以上も生きていれば、


               “純愛” ~pure love ~


というのを経験したことがあるのではないか。

今回はそんな『純愛』についてのお話である。


【前書き】『純愛~pure love ~』を見つけて虜になるマデ


ここで言う“純愛”とは、
ただエッチ目的で付き合って別れる事や、
あまり好きではないけど告白されたから付き合うこととは違う。

自分自身が真剣にある1人のことを想い、

時にはその想い人の優先順位が自分や友人よりも上に来てしまったり、

その想い人のことを考えるだけで胸が高鳴ったり、
または胸がズキズキと痛くなったり、

想い人に対する悩みで何時間も考えたり。

1番大事な感覚は、
自分にある愛情という感情を
その想い人に対し注ぎたいと、強く想うこと。


それが、

        “純愛” ~pure love~

                            であると私は考える。


しかし、偉そうにこんな記事を書いている私も
この純愛の存在に気づくのには、時間と経験が必要だった。


ここからは私の実体験だ。

私は小学生6年生の時に付き合ったAちゃんから始まり、

27歳の現在に至るまでに7人以上もの純愛を経験してきた。

もちろん私も高校2年生までの恋愛は、


『相手から告白されたから。』

『顔がタイプだったから。』

『なんか流れ的に付き合えそうだったから。』

などで付き合ってしまっていた。


しかしそんな恋愛は無論、
心と心で繋がってなどいないのでそうそう長続きすることなどはなかった。。

高校生で彼女と童貞を卒業したかった当時のアホな私は、結果的に高校1年生で4人と付き合って別れてを繰り返すこととなる。

無論、そのタイミングで卒業などはできるわけなどなかった。

しかし私が“純愛”について考え始めたのも、
そのタイミングである。


このままでは心と心で繋がることは不可能と考えた私は、高校2年生で恋愛から一旦距離を置くことを決意する。

変に真面目で繊細な部分のある私は、
なぜかマイルールで1年間の恋愛禁止令を自身に課したのであった。

だがその1年後の高校3年生の夏に、
私は初めての“純愛”を経験する。


それまで付き合えそうな流れや軽いノリで付き合ってきてしまった私が、

顔もタイプではなく、
それまで全く意識もしていなかった、

出席番号が前後で3年間同じクラスだったMちゃんに対し、

何気なく会話していて感じる安心感や、
私の発言によく笑ってくれる姿を見て
淡い恋心を抱くこととなるのだ。

しかし当時の私は、
友達の多いただの明るい青年だったのもあり、
Mちゃんに思い切って告白をするものの、


『気持ちは嬉しいし、ケンTのことは友達としては好きなんだけど、なんか好きなお笑い芸人みたいな感覚と一緒なの。ごめんね。』

と気を使われた結果、
このような変な例えを用いて断られたのを今でもハッキリと覚えている。。

だが、初めての“純愛”を見つけた当時の私は諦めが悪かった。

そのお断りに対し私は、

『俺の好きな気持ちは変わらないから、頭の片隅に俺がMちゃんのことを好きっていうのを置いておいて、今まで通り普通に過ごして欲しい。』

と自分勝手な事を伝え、
なんと自分のことを意識させることに成功し、

その3ヶ月後に再度告白。
Mちゃんと付き合うことができたのだった。

とまぁ、こんな経験を経てしまった私は、

この出来事から上辺だけの恋愛ではなく、
心からの“純愛”でないと恋愛というものができなくなっていったのだった。


【寄り道】『偽愛~fake love~』は人を傷つけるからヤメナサイ


大学時代は純愛の偽物である、

              “偽愛” ~fake love~

                                      も私は経験した。


Mちゃんとはその後、
約2年間ほどお付き合いをした。

しかし、別の大学だったのもあり感情のすれ違いが起こってしまい、
話し合って円満にお別れする事を決意。


それ以降の私は、
お酒の楽しさに溺れていく。。。

『酒と友達がいれば、彼女なんていらない。』

そう思って好きな人を作らずに自由に生きてきた。

とにかく楽しかったし楽チンだった。

酒の席に多く出向いていると、
それなりにピンクな出来事も多くあった。

しかし私は結局大学生までDTだったので、
それまでの行為はあったものの、
挿入だけは守り切っていたのだった。

ちなみに当時の私は地元の友達から、

『前戯マスター オオツカ』

と呼ばれていたほどだ…。
恥ずかしい限りだ。

(※Mちゃんはキリスト教とのことで宗教的問題でNO挿入。)


そんなどうでもいい話は置いといて、
“偽愛” ~fake love~ についての説明がまだだ。


              “偽愛” ~fake love~

これは私が勝手に呼んでいる言い方だが、

これが何かと言うと、
冒頭で挙げた対して好きじゃないのに
ヤリモクや流れで付き合ってしまい、

付き合った後も全く好きじゃないのに好きと伝えたり、片方は純愛でも片方は偽物の愛情を注ぎ、形式だけお付き合いする事を呼ぶ。

昨今では主にホストが太客にやることが多い。

ちなみに前述していた私の高校時代の前半の恋愛は、“偽愛”とはまた違う。

Mちゃんと付き合うまでの私は、流れやノリで付き合いはじめたことはあったものの、付き合った後は本気で相手を好きになり、本物の愛情を注いでいた。


まぁ、Mちゃんと付き合う以前の私は簡単に惚れやすいのももちろんあっただろうが…。


そんな“偽愛”についての経験だが、

大学時代の私はその時の寂しさやふしだらな目的で、偽物の愛情を相手に注ぎ、私に好意を持ってくれた相手を自分勝手に傷つけてしまっていたと思う。

本当に最低である。

これがホストのような仕事としてやってる訳でもなく、ただの一般大学生の分際で人を傷つける嘘をつき、他人の人生の邪魔をしていたのだから、いま考えると当時の私は相当なゴミ野郎である。

偽物の愛情を注ぐのが途中で苦しくなり、
こちらからお別れした女性もいた。

いまでは本当に申し訳なく思っている。

過去は変えられない。

同じ失敗はしないこと。

失敗から学ぶことが大切であると私は考える。


しかし、
この失敗経験から反省し学んだ私は、
さらに“純愛”の虜となっていく…。


【本題】“純愛”は自分を強く成長サセル


私がひさしぶりの“純愛”を見つけるのは、
大学5年生の後半になる。

(※なぜ5年生カウントなのかはまた今度話します…。)

無事に内定をいただいていたその年の私は、
入社予定の会社で定期的に行われる、内定者会に参加をしていた。

そこでまたしても名前順で毎回隣の席になっていたSちゃんに対し、

よく笑ってよく喋る楽しい子だなぁという
第一印象から仲良くなっていき、

少しずつ好意を抱くようになる。

そのSちゃんとはゆくゆく無事にお付き合いをすることとなった。

また約2年間ほどお付き合いし、

さらにはSちゃんのおかげで、
同棲や親への紹介なども経験することにもなる。


これは私の人生最大の“純愛”となった。


ではなぜ別れてしまったのか?

結論から言うと、相手の浮気である。

もちろん動機を作った私も悪いとは思う。


だか、内容がエゲつなかった。

前述の通り、
会社の同期と付き合っていたのだが、

浮気相手は私もお世話になっていた、
10個上の先輩だったのだ。


さらには、
その先輩は元カノの直属のお世話係でもあり、
私たちが付き合っているのも知っており、

その先輩も私が元カノとの浮気の事実を知る数ヶ月前まではちゃんと奥さんもいて、

本当か嘘かは知らないが、
元カノに聞いた話だとその奥さんに浮気をされ、

探偵をつけて証拠を集めて、
弁護士をつけて慰謝料請求をして離婚したと言うのだ。


『だから〇〇先輩主催の飲み会が増えたんだよね〜。』

『〇〇先輩、落ち込んでるから慰めないと〜。』

などと言われ、
それが面識のある先輩(浮気相手)だったとして、
誰が浮気を疑うだろうか。


結果的には元カノのセキュリティが甘過ぎて私にその浮気がバレることとなり、別れることとなるのだが、

無論、こんな記事を書くくらい繊細な私は
心から傷つくこととなる。

私が彼女にそうさせてしまったのはある。
私ももちろんどこか悪い部分もあったとは思う。

だが、かなり引きずったのも事実。


しかし2年以上経ったいまでは、

絶対に許すことはないのだが、
とてつもなくいい経験をさせてもらったと
心からSちゃんには感謝をしている。

その経験があるから、今の私がある。

その経験があるから、
もっと頑張ろうと今の私は思えている。

その反省があるから、
本気で好きな人には後悔のないよう、
誰よりも愛情を注ごうと思えている。

その経験があるからこそ、
想い人は全力で愛し、
面倒くさいダルいなど相手にどう思われようと、

あの時の屈辱と悲しさを味わうくらいならと
いまの私には後悔することはない。


そう。

たくさん傷ついたが、私は成長できたのだ。


思考しすぎて挑戦をできない人。

悩み、考え過ぎて行動に移せない人。

そんな人もたくさんいると思う。


何事にも共通して言えることだが、

私はたくさん行動し、
たくさん失敗し、
その経験から学び、

同じ失敗をしないようにすることが
自身の成長に繋がり、
自身のメンタル面を強くしていくのだと思う。


いまの時代は結婚は何度もできるが、
結婚するのにお金も時間も大量にかかる。

皆もちろん、
できれば結婚は1度きりがいいだろう。


『もうこんな人と付き合うのはやめよう。』

『あの時こうしとけば良かったな。』

それもひとつの成長である。


“偽愛”ではなく、
たくさん“純愛”をする分だけ成長ができる。

メンタルが強くなる。

どんな別れも前向きに考え、
人を本気で愛することに意味があるのだと、

勝手ながら私は思っている…。


【後書き】一度愛した相手を悪くいう勿レ


ここまでいろいろな話をしたが、

浮気されたり、
理不尽にフラれたり、

成長はできて相手に感謝をしていると言っても、

やっぱりこちらも人間なので、
元カノに対してはめちゃくちゃムカつく。
別れた瞬間は嫌いだと思う。

でもそれでいい。
そんなのは許さなくていい。


だが、相手に一生後悔させるためにも、

自分が圧倒的に成長をし、幸せになること。

それがなによりも相手への復讐なのである。

私もこれに気づくまでにかなりの時間を要した。


過去には別れ際に何度も衝突し、
最悪な別れ方も経験した。

しかしそれだと、相手が圧倒的に悪いのにもかかわらず、相手に嫌な元カレとして一生の思い出として残ることとなってしまう。


『もっと有名になる。』

『もっとお金持ちになる。』

『もっと可愛い/カッコいい相手を見つける。』

『とにかく幸せに生きる。』



なんでもいい。

その経験を糧にもっと上にいく材料とすればいい。


心では引きずってていい。
まだ好きでもいい。

人間だもの。

でも負けるな。

連絡すんな。

別れ際は感謝を述べて、綺麗に去れ。

その方がカッコいい。
その方が相手はあなたを引きずるはずだろう。


うぜえよ。
相手が悪いよ。

そりゃあもちろん、
悪口も言いたいと思う。

でも言っても、
なるべく仲の良い数人にとどめろ。


自分が決めて始めた物語だろ?

一度は本気で愛した相手だろ?

好きだった相手の良い思い出に残らせてやろう。

自分は成長もできて、
相手に感謝をして
相手には後悔をさせてやろう。


それが1人の他人相手に、

たくさん悩み、
たくさんの時間を使い、
たくさんの愛情を注いだ、

               “純愛” ~pure love ~

をした本当の意味だと私は思う。

無駄な時間なんかじゃなかった。
そう思えるようにするには自分次第だ。


気を許せてなんでも話せる仲では、

たくさん泣いて良い。
たくさん怒っていい。
たくさん反省していい。

             『立つ鳥跡を濁さず。』

そんな“純愛”を目指そう。


無論、

私も本当は傷つきたくないし

本当は一度きりの“純愛” にしたいのだがネ…。


彼女、募集中デス。


著者:ケンT・オーツカ

社会人として不動産業界で働く傍ら、漫才師としても活動。海外生まれで、留学経験も多く、様々な経験をしている。性を含め、多くの経験談をもとに世の中に対しての意見や見解も発信。

【ひとこと】
私が男に痴漢された経験や、オーストラリアでレディーボーイに犯された経験、ブラック企業で精神的におかしくなり、精神病になった経験など、様々な実話を元に学んだことをこれからこちらに不定期で綴っていきます。是非ともフォローお願いします。

(参考)ケンT・オーツカ

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