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炭酸といえば、さいだぁぶるーす

炭酸というテーマで考えた時、自分の人生の中で炭酸は大きなターニングポイントには存在せず、難しいお題だなぁとシコリながら考えていました。
中学校の時、剣道部で夏の(冬も)くせー防具を外した後の炭酸飲料は格別だった!とか、高校の陸上部の時、かわいかった先輩(部長)から「お疲れっ」とか言って炭酸飲料を渡されて、そのあとちょっとキスが甘いサイダーの味だったとか・・あればいいけど全くない!剣道部のくせー防具を外した後は、冷たい水が最高だったし、高校時代は後輩の音楽課の繊細な女子と付き合っていたので、そんなスポーティーな爽やかな感じもない・・。高校の時のバンドでも、もはやカクテルバーを飲んでイキってる感じだったので、「愛だろ、愛っ。」ってほうが印象が強い。はて、自分と炭酸の接点とは・・・。

と、3日ほど考えて思い出したのが「かせきさいだぁ≡」。そして、「さいだぁぶるーす」。見事に青春の1ページに、”炭酸”がいた。

当時バンドをやっていた私は、ガンズアンドローゼスや、ニルヴァーナが好きだった。ニルヴァーナに関しては、高一の時にハマったと同時にコバーンが死んだ。あとアイルトン・セナも。その世代。基本洋楽が好きだった。そんな中、音楽的にも文化的にも自分より圧倒的に知識が上な友人がいた。

高校の友人から受けた影響

自分の感性は、バカドリル+伝染るんです+男塾+ロックンロール+シュルレアリスム+高校の友人で、分解できる。その友人から得た影響は大きかった。

まず”ファッション”。今も好んで履き続けているジャック・パーセルは、彼の影響。コバーンが履いてたんだぜって見せられた靴に、私は心を奪われた。何よりもコバーンと言うフレーズは、当時の音楽好きにはクリティカル・ヒットなワードである。 よくわからんが、それまでの肥大化したハードロックバンドを一掃した伝説のバンド。それ以降、自身のコバーンに共感するマインドを示す意味でジャック・パーセルを履き続けている。
(でも、時々ワン・スター。)

次に”お笑い”。とにかくその友人は、ボケもツッコミもうまかった。いま思い出してもお笑い芸人としてやれる基礎能力はすでに持っていたと思う。高校時代は、だいたい6人ほどの仲間で、つるんでいたのだが、彼はその中心で、話を回すのも上手かった。私は、それまでは周りと同様に、ダウンタウン主義だった。でも彼は違った。次の世代をすでに見つけていた。ジャリズム、フォークダンス・DE・成子坂、そしてナインティナイン。偶然にも小学校からの親友からも上京の際にナイナイのANNを録音したMDをもらったが、それで彼の笑いのセンスの源泉を知ることになった。当時のラジオのナイナイは、ダウンタウンに負けない破壊力を持っていた。今もゆるーく面白いが、正直あの頃の尖ったナイナイのネタは、当時の若い人にはたまらない面白さだった。今の表面上のコンプラを気にする人間には分からないと思う。毒あり下ネタあり自虐あり、等身大の、今を生きることに必死な人間が内面で思っていることを全て笑いに昇華していたのが当時のラジオのナインティナイン。めちゃイケの「笑い+感動」も、お笑いの歴史の中では充分すぎる功績だけど、彼らの本質はラジオにある。それを高校の友人はかなり早い段階で認識していたのである。

そして、”音楽”。これは本当に影響を受けた。彼から教えられて好きになったアーティストは、ミッシェルガン・エレファント、電気グルーヴ、コーネリアス、オアシスらブリットポップアーティストが挙げられる。そして、ロッキンオンとクロスビートいう雑誌。これは彼の影響で読み始めた。いまロキノン系というが、当時のROCKIN' ONはもっと熱かった。なんだったらライバル誌のCROSS BEATとガッチガチの喧嘩を誌面上でしていた。どっちかというとROCKIN’ONが喧嘩を売ってる感じだったけど。当時のオアシスVSブラーの影響もあったかもしれない。1997年から1999年は、プロレスのような対決構図で音楽業界も熱く盛り上がっていた。さらにアンダーワールドやプロディジー、マッシブアタックなど新しい音楽の登場で、時代の変化が始まる時の異常なテンションだったのをとても覚えている。彼は案の定、それを早い段階で察知していたのだ。とにかく私も上京してからセンスいいね、とよく言われましたが、それはほとんど彼の真似でしかなかったのです。

かせきさいだぁ≡

さて、長々とおじさんが熱い思い出話をしてしまいましたが、そんな彼から教えてもらったアーティストの一つが”かせきさいだぁ≡”。45歳以下はおそらくほぼ知らないと思う。ミスチルとか小室系を聞いていた同世代の人もほぼ知らんだろう。でも渋谷系やナゴム系をかじっていた人なら知っているはず。いや、知っていて欲しい・・・。ジャパニーズヒップホップの歴史になぜか刻まれないが、名曲”さいだぁぶるーす”を生み出した天才である。元TONEPAYSのメンバーで、Jヒップホップで言うと、近田春夫、いとうせいこうやスチャダラの系譜というほうがわかりやすでしょうか。と、いうかTONEPAYSはスチャダラのBOSEの弟がいた気がする。硬派なDJ KRUSHやブッダ、ギドラ、MICROPHONE PAGER、もしくは北の雄ブルーハーブとは全く違うルートって感じですかね。いかにも当時のROCKIN’ONが好きな方向性のポップで、アートの感性が強い先鋭的なアーティスト。それが、かせきさいだぁ≡。当時の友人曰く、「”かせきさいだぁ≡”は、日本版”ベック”やね。」確かに、他に例えられるアーティストが、当時の自身の知識にはいなかったので、とても納得したのを覚えています。

さいだぁぶるーす

さいだぁぶるーすがリリースされたのは、1996年9月。小沢健二・スチャダラの”今夜はブギーバック”とEAST END×YURI の"DA.YO.NE"が1994年。
Dragon Ashの活躍でJ HIPHOPがブレイクするのが1999年。まさにJ HIPHOPの中継をしたのが、この”さいだぁぶるーす”だと私は思っています。

さて、「炭酸」を置いてきぼりにしていますが、この曲の最初のサイダーを開ける効果音。♪ポン、シュワシュワ。そこから始まる軽快なドラムのサプリング。もう夏でしょこんなん。「炭酸」を歌にしたらこれしかない。しかも友人に聴かされた時期は、夏の終わり。当時付き合ってた彼女と別れた時に聞かされたこの音楽は、もう青春しかない。忘れてたけど。もし、私が90年代後半版の「花束みたいな恋をした」を作るとしたら、絶対この曲は入れるでしょうね。というか、あの映画は色々と心当たりありすぎる描写が多いので、キュンってしちゃいますね。たぶん各世代にいるサブカルおじさん、おばさん達は悶絶したはずです。そこにブチ込む”さいだぁぶるーす”。どうでしょう。45歳くらいのサブカル人にはちょっとはグッとくるはず。

青春は炭酸のようにハジケリスト

結果、微炭酸でしたが、炭酸にまつわるエピソードでした。高校時代のその友人は、今は税理士として立派に働いております。仲間内では最後でしたが、結婚もして、地元の岐阜で仕事に子育てに追われております。
そして、私は岐阜も東京も離れ、札幌で、妻と子供に風呂上がりに炭酸が飲みたいと言われ、タバコを買いがてら、ほぼ毎日のようにセイコーマートで炭酸とタバコを買う日常を送っています。
ふと思い出す高校時代。90年代の後半。あの時代は変化の時代でもあったのと思春期真っ只中。自分に多大な影響を与えた友人。そして、おっさんの思い出補正も含めて、アホなハジケリストな思い出しかないですが、全てサイダーのようにキラキラした時代に思えてしまいますね。たまには、そんな感傷的なときがあってもいいんじゃないすかね。懐かしい曲かけながらハイボールでも飲もうかな。

#炭酸が好き


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