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【南大沢土木構造物めぐり】No.95 ちょっとマニアックな境川の歩き方
地元・南大沢のすぐ隣にある町田市の多摩境駅近くを流れる、境川。ここは、昔は武蔵国と相模国の国境であり、今では東京都と神奈川県の都県境になっています。
境川の地図を、地図サイト「Mapion」で見てみましょう。なぜMapionかというと、ずばり、都県境が明瞭でわかりやすいから、です。
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今回の街歩きの目的、これを見て想像がつくでしょうか?そうです。境川沿いの都県境には、たまに「イレギュラーな場所」があります。川は直線なのに、都県境だけが蛇行していて、ある場所だけ県境をまたぐようなことがあるようです。そこはきっと何か面白いものがあるに違いない!ということで、今回は境川沿いに変わった都県境を探っていきたいと思います。
■1 坂本橋の近くにある飛び地
今回の探索、まず1か所を歩いてみると、どんなことかがわかると思います。スタートは、京王線が境川を渡る真下に架かる、坂本橋のすぐ脇にある不思議な都県境です。相模原市に当たる境川右岸側に、町田市が少し張り出す形になっています。
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今昔マップで見ると、不思議な都県境が発生した理由が推察できます。昔の境川はこんなにまっすぐな川ではなく、蛇行していました。明治時代の地図では、蛇行した川に沿って、都県境も蛇行していましたが、河川改良に従い、川が直線化されたことに合わせて、都県境も整理されたようです。しかしここだけは、何らかの理由で(おそらく地主さんの都合などでしょうか?)、昔の都県境を残した(残さざるを得なかった)と考えるのが納得がいくと思います。
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都県境も、境川も、今より蛇行していることがわかります。
さて、その場所を見てみましょう。
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撮影しているところ付近が、町田市・・のはず。
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境川の蛇行跡だからでしょうか?
境川右岸に、何か町田市を感じるものが無いかを探してみました。
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管理者は、神奈川県でした。東京都ではないのですね。
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そして、東京都町田市であることを示すものを、何と発見しました。
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こんな感じで、不思議な都県境をめぐります(笑)。
■2 1軒だけ町田市!?
次なる不思議な都県境は、こちら。なんと1軒だけ町田市に属しています。地主さんが町田市側の人だったのでしょうか。こういう場所の歴史を探ると面白そうではないでしょうか。
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蛇行と違い、地主さんの都合なのではないでしょうか。
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地図で見る都県境の尖がっている場所が、舗装の有無で見える化されているような気がします。官民境界のような気もしますが、民地部分が町田市だと考えることもできそうです。
■3 橋の前だけ相模原市?
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相模原市である証拠を探しましたが、何と、ありました!!
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いやー、この探索、とても楽しいです。雨水の側溝は、ここだけ相模原市の管理なのですね。おそらく管路全体は町田市が管理しているところに、相模原市が繋げている形なのでしょう。流域という考え方をすると、町田市が一括管理したほうが合理的なのですが、相模原市の領域に町田市は口出ししない・・みたいなやり取りを想像してしまいます(笑)。
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■4 今度は町田市の出番ですよ(笑)
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恐らく蛇行した河川跡で、一部町田市のエリアのはずです。
ここの不思議な都県境は、比較的大規模なものです。これだけ大規模ならば、町田市が自己主張していると思いながら探してみましたが・・。写真にある小山高砂町は、相模原市の自治会の名前です。
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ここは、何軒かの民家や、養鶏場などが町田市にあるようですが、この場所が町田市であることを示すものは、残念ながら見つけることができませんでした。
■5 今度は相模原市が目立つ番です!
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公園の中に、町田市の飛び地がさらにありそう。
最後に紹介する都県境は、橋本駅からまっすぐ歩くと現れる、寿橋のすぐ脇にあります。
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隣接するのは、町田市のマークの雨水マンホールです。
何と、境川左岸側に、相模原市の汚水マンホールを発見しました。
雨水のマンホールは、町田市のマークでした。汚水だけ相模原市が管理しているのでしょうか。処理場は町田側か、相模原側、どっちなのでしょうか?いろいろと興味深い発見でした。
■終わりに
久しぶりに近所の街歩き探訪をしましたが、境川にある都県境の不思議な場所を眺めるのは、とても楽しい探索でした。昔の蛇行跡に沿って入り組んだ都県境が、今も何らかの事情で少し残っていて、行政の管理も、微妙に入り組んでいるということがわかりました。川沿いを歩く新たな楽しみを発見したマニアックな街歩きでした(笑)。
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