【南大沢土木構造物めぐり】No.54 八王子市の多摩ニュータウン東部周辺を歩く(後編)~松が谷・東中野地区~
前回紹介した、鹿島・大塚地区と多摩市の愛宕・和田地区に続き、松が谷地区と、東中野地区を歩いてきました。多摩ニュータウンでも少し早めに開発されたこの地区と、その周囲の昔からある農村風景がポイントの地区です。起伏に富んだエリアでもあり、興味深い構造物などを紹介します。
(前編はこちら)
スタートは、由木東事務所の前から。道路の上に道路が立体交差し、その上をモノレールが越えていく、非常にダイナミックな立体交差が、ニュータウンの緑の中で繰り広げられます。
【大塚橋 1971年11月完成】
大塚橋の上をカーブしながらダイナミックに跨ぐ多摩モノレール。車窓の風景はものすごく美しいです。
松が谷地区の遊歩道。どこも緑がいっぱいです。
松が谷の商店街も、空き店舗が目立ち、シャッター商店街になっていました。居住者の数は少なくないと思います。もう少し有効活用できる手立てはないのでしょうか。
【風返歩道橋 1978年3月 東京都 製作:トピー工業】
商店街から道路を渡っていく歩道橋。行きつく先は緑の中ですが、その奥に団地があります。松が谷の町は、丘の高低差が大きく、上段、中段に住宅地があるのが特徴ともいえると思います。
緑の中を少し歩き、西のほうへ向かうと、歩道橋が見えてきました。下のバス停、たくさんバスが走っていると思いきや・・・。写真奥にあるバス停は、今や来るバスがなくなった状態になってしまっています。
【一の窪歩道橋 東京都 1976年3月 製作:桜田機械工業】
さらに西へ進むと、別の歩道橋を渡ります。尾根に起伏が大きいため、道路を越える橋は大規模な法面の上に遭ったりと、結構ダイナミックなのがこの地域の特徴でしょうか。
【二又歩道橋 1978年完成】
歩道橋を渡ると、坂道を下りていく道につながります。見えている景色から団地が消えたので、多摩ニュータウンのエリアから外れそうな道。その変化が楽しいです。
尾根から里に下る急な坂道。お地蔵さんが安置されている小屋でしょうか。昔から大切にされている風景。ニュータウンのすぐ隣にこんな風景があると、楽しい気がします。
尾根を下り切って東中野地区の昔からの街並みへ。
すごく立派な大木に、石積みがある家。
古くからの石仏が大切にされている町。周囲は、中央大学や帝京大学などの大学も近いので、学生向けのアパートも建つ街です。古くからの集落の周囲にニュータウンができ、大学が立地し、田畑がアパートなどに変わったのですが、石仏は昔から街の移り変わりを見てきたのでしょうか。
【終わりに】
松が谷・東中野地区を歩きました。地形的に起伏の大きな地区なので、見える風景はバリエーションに富んでいます。まだまだ歩いていない場所も多く、歩くたびに多くの発見がありそうな場所だと思います。ニュータウンとはいえ、入居から50年近くが経過しようとしている場所なので、高齢化や商店の空洞化などの課題も抱えているようです。そうはいっても、大学も立地し、交通の便もそんなに劣悪ではないので、まちの持続的な世代交代のようなことがうまくいけば、さらに魅力的な場所になるのではないかと思います。地域の魅力を再認識することが、とても大切だと思います。
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