娘の不登校を許したワケ…今は亡き弟に捧ぐ

なぜ私がXで
娘の不登校の話を書いたのか…

これには理由があります

ちゃーすけ@道産子出張ネイリスト改め自由人のX

私の親子の素敵な物語に
聞こえたかもしれませんが

私の家族の負の歴史や
現代の会社組織の闇が
あったからこそ

書くことができた
とも言えます

この理由を知りたい方は
以下長文をお読みいただけると
幸いです…

………………………

私には年子の弟が
「いた」

小さい頃から
私より身体がでかいのに

小さな虫を見ただけで
ピーピー泣き

ちょっと擦りむいて
血が出ただけで
貧血を起こし

とても手がかかる弟だった

だから
小さい頃から
イジメられやすかった

イジメられ体質って
本当にあるんだと思った

当時小さくてガリガリの
私に対して

一回りも大きくて
柔道選手のような
体つきだった弟

どう見ても弟の方が
強そうなのに

いつも私が弟を守っていた

というか
親から守るように
いつも言われていた

「お姉ちゃんなんだから」と

当時の私は多分
親に認めてもらいたくて

いつ何時も弟を見張り
イジメてる奴らを
片っ端からやっつけていった

イジメた奴らを
担任や親に報告しまくった

これは私が弟と同じ学校に通う
中3の時期まで続いた

でもそれがいけなかった

弟をイジメる奴らは
私の目の届かないところで
弟に復讐していた

原因はアイツらなのに
弟は何もしてないのに

私がやったことで
弟がやられていた

本末転倒だ…

それでも親は
私に弟を守れと言う

私は私の存在に
意味のない私の行動に
疑問を感じるようになった

私は家を離れる決心をして
地方の高校を受験した

自分の人生はやはり
自分でなんとかするもんだ…

そう決めて私は出ていった

しかし天はそれを
許してくれなかったのか

私が無事高校を卒業し
大学生を満喫していた頃

弟が専門学校に通うため
一緒に住むことになった

弟は家事が一切できない

私は学業とバイトをやりつつ
弟の分まで家事を
やることになった

友達とも彼氏とも
遊ぶ時間が少なくなった

親に愚痴っても

「お姉ちゃんなんだから」

が返ってくる

弟はそんなに偉いのか??
と私はイライラし始めた

そして私の頭の中で
何かが爆発した

私はとうとう
当時付き合ってた彼氏と
駆け落ちし

弟を残して家を後にした

私は親から勘当を受けた

それでも私は私で
なんとかやっていけた
(1回目の離婚を経験したけど)

風の便りで弟はなんとか
IT企業に就職できたらしい

元々プログラミングが
好きだった弟にとって

最高の仕事につけて
良かったと私は安堵した

妹が専門学校に通うため
弟と住み始めたと聞いたので
安心していた

…が、それから2年後
妹の専門学校の卒業式当日

弟は自殺した

なんの前触れも無しに

いや
あったのかもしれない

弟の住んでいたアパートは
妹から聞いていた

妹は卒業式の準備のため
実家に戻っていて
数ヶ月前からいなかった

弟が亡くなる前日

なぜか私は
彼氏にお願いして

弟のアパートまで
連れていってもらった

意味はない
虫の知らせというやつか…

ただどうしてるか気になった
だけだった

でも留守だった

3月のまだ肌寒い季節に
なぜ窓は開いていたのか
疑問に思いながら…

電話もかけてみたが
弟は出なかった

1時間ほど
アパートの玄関前にいたが

なんの音沙汰もないので
日を改めてまた来ようと

弟のアパートを後にした

そして当日
母と妹が卒業式の前に
弟に会おうとアパートに向かい…

一番見たくなかった現場に遭遇した

私は妹から連絡を受け
当時勤めていた会社の
社長に事情を話し

社長の車で現場に向かった

第一発見者は母だった

おそらく
あらゆる救命手段を
やり尽くしたのだろう

放心した母と妹の姿と
部屋の奥で検視中の医者

現場検証している警察が
目に入った

弟の身体には擦り傷のような
アザがいくつか見受けられた

今回の事でできた傷なのか?

と思った

「自死です」

そう言い放って
医者と警察は出ていった

部屋の中は散乱しているものの
そんなにものはなかった


クレカの山がいくつもあった

借金をしていたのが
明らかだった

後で調べたところ
総額500万円

それが原因なのかと
頭の中をよぎった

しかし
部屋は質素で
豪遊した形跡がなかった

何かがおかしいと思いながらも
なんとか部屋を片付け
(何をどうしたのか覚えてないが)

実家に弟の遺体を送り
葬儀を執り行った

この時にはすでに両親の中では
私への勘当のことは
どうでも良くなったらしい

当時の頼りは
私しかいなかったから…

弟の会社の同僚や上司も
わざわざ遠いところから
来てくださった

みんな弟のことを
惜しんでくれた

その中の女性社員の方が
しきりに私に

「ごめんなさい」

を連発し泣き崩れた

あなたが悪いわけじゃない
と私は慰めたけど

この謝罪には意味があった

葬儀も終わり
初七日を迎える頃

その女性社員から私宛に
一通の手紙が送られてきた

そこには出向で来た弟に対する
壮絶なイジメの全貌が
書かれていた

殴る蹴るの暴力はもちろん
高額カツアゲの詳細が
記載されていた

その首謀者と実行者の名前も…

そして見て見ぬふりをしたことを
悔やんでいる女性社員の
幾つもの謝罪の言葉…

弟の身体のアザの理由と
クレカの山の正体が
明らかになった

私は憤りを隠せなかった

警察に行く!
と前のめりで行こうとする私を

なぜか父が止めた

「なんで止める?!」

と爆発寸前の私に父は

「俺があの時
話を聞いてやらなかったから
俺も同罪だ」

と言った

実は
弟が亡くなる前日の夜

私が弟のアパートを訪ねた日の晩

弟から電話があった

と父は話し始めた

おそらく弟は何かを決意して
厳格な父に電話したと思う

しかし父は
何か言おうとした弟の話を聞かず

自分の世間体を気にするあまりの
正論をぶちかましたらしい

私にもよく言っていた

「人様に迷惑かけない
生き方をしなさい」と…

すでに迷惑をかけてしまったと
思っている弟にとって

一番言ってはいけない言葉
だったに違いない

電話を切った後
誰にも迷惑かけない道として
「その道」を選んでしまった

「その道に行く」と決めてしまった

弟にとって
この世が地獄だったに違いない

私たち家族に起きた
この出来事は

誰もが悪人になれる
出来事だった

もちろん私もその一人である

私が家を出なければ
弟はこんな目に遭わなかったとか

父が電話で話を聞いていれば
こんなことにならなかったとか

そもそも
弟が私の弟として
生まれなかったら

こんなに酷い人生を
歩まなかったんじゃないかとか

挙げればキリがないほど
悪人になれる出来事はたくさんあった

これを「カルマ」という
便利な言葉で片付けてはいけない

今ここでその連鎖を
断ち切る意思を

自分自身が
持たなければならない

でも私一人では
難しいとも感じていた…

だけど
弟はそれから2年後

再婚したけど
流産で苦しんでいた私の枕元で

今いる世界が楽しいと
報告してきてくれた

弟には弟の選んだ
最適な世界があることを
教えてくれた

「僕は大丈夫
だから安心して」

「姉ちゃんは姉ちゃんのこと
考えてあげて」

と慰めてくれた
(家族は誰も信じてくれないけど)

弟がそっちの世界で
元気とわかって安心した

だけどやはり
本来こんなことが
あってはいけない

「カルマ」とか「業」とか
そんなものに囚われてるヒマはない

家族で守れるものは
守らなきゃいけない

束縛や執着という形ではなく
一人の人間の尊厳を守る
という意味で…

だから私は
子供達をそれぞれ
名前で呼んでいる

「お兄ちゃん、お姉ちゃん」
は使わない

先に生まれようが
後に生まれようが

みんな違う人間だから

素直に自分の人生を
歩んでほしいから

その子のやりたいことを
したくないことを

手助けしていくのが
親の務めだと思うから

でも
親の務めだからといって
できない時もある

親だって子供と同じく
ただの人間だ

それは仕方がないと
タイミングを待つようにしている

親の常識ほど
子の常識に当てはめては
いけないものだと思ってる

子供から学ぶことは多い

でも今は子供も大人も
素直な気持ちを言いたくても

言えないように
言わないように

教育されている
ようにも感じる

だから私は
弟のような何も言えない子を
増やさないよう

大人も同様に

素直に生きられるような
社会を作りたいと思っている

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