誰か私をみつけて
初めての投稿なので、noteをはじめてみるに至った経緯を書き記しておく。
アウトプットについての話です。
1 演奏すること、描くこと、書くこと
この3つは口下手極まっている私が言葉にならないものを昇華する手段だった。
自分にとって大切なもので、私の自己表現の三大要素だと思っている。
でも社会人になるにつれて、日々の生存に必死すぎて、少しずつ失ってしまった。
失ってわかったこと。
えるしっているか エレクトーンを弾かなくても絵を描かなくても文章を書かなくても
人間は意外と全然死なない。
かわりに、社会人になって、俳優を推して、映画を観るのが好きになった。失って浮いた時間でTwitterやソシャゲを嗜むのが増えた。
2 アウトプットやめた結果
アウトプットやめた結果、正直インプットが増えた。
映画やドラマやアニメやソシャゲで心動かされたりすると、人の感想とか考察とか二次創作とかが見たくなる。そしてそれはネットの海に無限に転がっていてとても簡単に手に入る。
もうなんなら一次創作(例:映画本編)みてる時間より、二次創作(例:映画の考察)みてる時間のほうが楽しいまである…という域に入ってたこの頃。
きっかけはTwitterでみたあるツイートで、
私はいま、自分で考える力が落ちて、他人が咀嚼して吐き出したものしか食べられない状態になりつつあるのでは…??雛鳥か??🐣
とわりとリアルに震えた。
これです。
正確に言えば、上記で問題提起していることと、私がいま問題視していることは少し違うのですが、今の状態が続けばこうなるなあと思った。
noteとか Twitterとかで他人の考察に簡単にアクセスできる今、他人の考察で満足して自分で考察する力が衰え、いつか本編を楽しみ咀嚼する気力すらなくなり、分かりやすくて手軽なものしか受けつけられなくなると思うと、
あまりにも虚無。
例えがめちゃめちゃに雑だけど、世の中に様々な味の料理が溢れているのに、簡単で単純で消化に良い塩味のお粥みたいなものしかおいしいと思えないみたいな話だな。
まあそれでも「自分の感動も感情も自分の中で完結しているので、わざわざ他人に見えるように具現化してまで伝えたいことがないな」と思ってた。
正直今でもそう思ってる。米津玄師の「ララバイさよなら」よろしく、痛みも孤独も全てお前になんかやるもんかと思っているよ。
…で、なぜこの状態からnoteを始めようと思ったかという話に入ります。
3 アウトプットを通して得られると思ったこと
最近久しぶりに絵を描きたくなってリハビリで模写をした。
そのときに「他人に見える形でアウトプットすること」を通して得られることについて思ったことがあった。
これだけ長い前置きを置いた上に、突然絵の話を始めて恐縮ですが、もうすこしお付き合いください。
3-1 細部が見えるようになること
今回、イラストの模写をしたので特に強く思ったことだと思うけど、
「見て実際に描くこと」は「ただ眺める」よりもその絵を深く堪能できる。
自分で再現しようと手を動かして初めて気づく、かたちや、線1本のゆらぎや、ほんの細部の質感がある。
見るだけだったら、最低限全体を捉えれば、輪郭がわかれば、何が書いてあるか分かる。
見たものを正しく再現するには、細部まで目を凝らし観察する必要がある。
たいてい輪郭だけで絵は描けないので。
これは文を書くことというか言葉においても同じだと思っている。
受け取るときや自分の中だけで処理するときは、言語化できてなくても曖昧でもいいんだけど(絵でいう輪郭にあたる)、
自分のなかにあるものを他人に伝わるように言葉で正しく再現するためには、自分を細部まで見つめる必要がある。
そうすることで、自分が感じたことについて、輪郭だけでは捉えきれなかった細部まで見えるようになると、世界がより鮮明で鮮やかになる気がする。
3-2 理解を深めること
正直3-1と3-2の話は同じカテゴリの話ではあるが、上記のように観察して細部をみつめることでその対象についてさらに理解が深まると思っている。
具体例をあげると、羊の絵を描きたいとする。見た人に羊と分かるように、自分の満足する完成度の絵を描こうと思ったら、羊の角の形はどうなっているんだろうとか羊のふわふわはどう表現したらいいだろうとか考える。
その過程で実際の羊の写真を見たり、試行錯誤したりする。そうすることで羊の角やふわふわについて、どうなっているのか、どういうふうに描けばいいか、絵を描く前より理解を深め新たな知識を得ることができる。
ちなみに2の🐣のくだりも、あの一言を付け加えたいがために、親に咀嚼されたものを食べる動物について調べて書いたので、またひとつ生物について詳しくなりました。🐓
他人に見せるものには責任が伴うと思ってるので。不正確をなくそうと意識することや、そのために調べたり、試行錯誤することで、自分の理解や知ってることが増えるのは、これも世界が鮮やかになるというか、自分自身がすこしずつ豊かになることだなあと思う。
3-3 自分の位置に気づくこと
これは米津玄師さんが8月に出演したマンスリーラジオで話していた言葉で腑に落ちた話。
考えなり曲なり、人前に出す前は、無限の可能性を持っているように思えてしまう。しかし表に出すことで初めて自分の位置に気付ける(意訳)
という趣旨の話だった。最終的に自分の背中を押したのはこの話だったように思う。
たしかに絵を描いていても描いて初めて気づくことっていろいろあって。
私は硬い質感のものを描くのが意外と好きかもしれない、とか。布の描写は見て描いたら自分が思うように描けなかったから、どうしてこうなるのか構造を理解できてなかったんだな、とか。
言葉や絵で形にすることで、自分はこうやって捉えていたんだなとか、これができるんだなとか客観的に分かるのはもちろん。
自分の実力がどの程度なのか、自分に足りないところは何かわかるようになる。
つまりは現実をみるという話なので自分への失望も伴うわけで。
いままで言葉にすると、いままで自分のなかでとっておいたものが死んでしまって自分のものでなくなるような気がして、
お気持ち表明するのあんまり好きではなかったのですが。
そう思ってしまっていたのも自分の位置が見えていなかったからで、現実逃避だったのかなと。
言葉を与えて形にすることが悪だったのではなくて、私に語彙力や伝える力が足りないのが原因だったのかもしれない。
生きて約四半期、ちゃんと客観的に自分の位置を確かめてみるのが必要かなと思った。
4.長文なんて読みたくない人のためのまとめ
noteを始めた理由は4つ。
①他人の考察で満足し、考える力が落ちて自分の頭で作品を咀嚼できなくなることがこわい
②アウトプットを通して自分や対象を細部までみつめ、観察したい
③ ②の過程で対象への理解をより深めたい
④言葉にすることで自分の位置を確かめたい
絵とか音楽とか言葉では表現しえないものも大切にしたいけど、形ないものを言葉にする行為をこれから愛していきたいです。
初回なので自分の言いたいこと余すことなくつめこみました。長いな! 悔いはないです。
でも読む人のことはあまり考えない内容になってしまった。
今回は完全に自分のために書いたものだったので、次回からはもう少し読みやすく書きます。
誰かに届きますように。
追記:今後作成予定の記事はこちらで管理してます。よしなに。
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