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「ファンサービス」と「物語」は共存できるのか 『デッドプール&ウルヴァリン』


〈作品紹介〉
マーベルコミック原作の異色ヒーローアクション「デッドプール」のシリーズ第3弾。ライアン・レイノルズ演じる元傭兵で掟破りなヒーロー、デッドプールに加え、「X-MEN」シリーズでウルヴァリンを演じたレジェンド、ヒュー・ジャックマンがカムバック。
2代ヒーローの夢の共演が実現した。

監督:ショーン・レヴィ
出演:ライアン・レイノルズ、ヒュー・ジャックマンほか


「第四の壁」(=キャラクターと観客との間にある壁)を破ることのできるマーベルの人気キャラクターであるデッド・プールらしい、メタ的な楽しさに満ち溢れた快作だ。 
 MCU(マーベル・シネマティック・ユニバース)以前のマーベル原作映画から、幾多のファンサービスが登場し、長年追い続けてきたファンは眼福ものだろう(実際に僕もそうだった)。

 だが前述したファンサービスからくる「愉しさ」は、同時に劇中のドラマの希薄さを浮き彫りにしてしまっている。
 なぜならこの映画を観て観客が受け取る情動というのはこの「映画内」の物語ではなく、「映画外」の物語から発するものだからだ。


 確かにこの映画を観た観客は20年以上に渡るマーベル原作映画(またはそれに纏う製作のあれやこれや)を基にしたネタに愉快に笑い、そして胸を鷲掴みにされるだろう。 
 だが肝心の「映画内」の物語といえばだ、即物的なフラッシュバック、または説明台詞が繰り返され、単独の物語としては成立しておらずとても飲み込みずらい。
 そしてこの「映画内」の物語が、上述したファンサービスに釣り合って観れるものかというと正直微妙だ(「"一般的"な映画と比べるな!」と言われればそれまでではあるが...)。

 また、メタ的なキャラクターであるデッドプールが主人公の映画であるが故に、製作がディズニー傘下となってしまったおかげで、「"あれ"が言えて、"これ"が言えない」といった「表現上の制約」を観客が(自覚的であれ無自覚的であれ)忖度しなくてはいけなくなったのもとても皮肉である(劇中でもネタにはされていたが、やはりそれ以上にどうしても脳裏にオトナの事情がチラついてしまうのである)。
 デッドプール/ウェイドのキャラクターとしてのレイヤーの深さが、前2作に比べてとても浅薄になったのも問題だ。
 本来皮肉屋で躁鬱的な問題を抱えているはずの彼が、人生肯定賛歌のようなセリフを堂々と語る顛末には少なくない違和感を拭いきれなかった。

 とはいえライアン・レイノルズとヒュー・ジャックマンのブロマンス的な要素も楽しいし、長年見てくれている観客(または作り手)への謝辞として作られた映画としては申し分ない出来だった。
オススメです!

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