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「成功」と「挫折」。PRを目指した僕のアパレル人生。

2020年の元旦からtwitterを真面目にやってみようと思ってから早1ヶ月。ありがたいことに自分でも驚くほどのペースでフォロワーさんが増え、1,000人を突破したので、自己紹介も兼ねて僕のこれまでのキャリアを書いてみようと思います。

ちなみにですが、twitterでは18歳から携わってるファッション業界のネタ、インテリアやアート、広告やマーケティング、クリエイティブに関することを呟いています。

自分はいま某アパレルのブランドプレスを担当しています。前職は社員が5人もいない小さな会社で、朝から晩まで雑誌の営業と編集に身を捧げる、いわゆる”ブラック”な環境で働いていた経験もあります。このnoteはアパレルでプレスを目指す方々やこれから働き始める新社会人や若手の社会人の方々にとって、少しでも働き方やキャリア形成の参考になれば良いなという想いを込めて書きたいと思います。ストーリーが肉付けされた職務経歴書だと思ってお読み頂けますと幸いです。

エピソード1:憧れの東京でアパレルで働き始めた18歳。

地元は栃木県の片田舎で、両親が”身だしなみに関してはお金をかけてでもきちんとしなさい”というタイプだったので、小学生の頃にはファッションに対して興味や関心を持つようになりました。ただ中学生・高校生になっても栃木県内にBEAMSやunited arrows、JOURNAL STANDARDなど、いわゆるお洒落なセレクトショップというものがひとつもなく…。早く東京に出たいと常々思うようになりました。大学もお洒落な街に行きたい一心で◯山学院大学になんとか入学。最初の2年は神奈川県の相模原でしたが、入学してすぐにアルバイト探しをスタートし、期待と不安を抱えながら当時町田のmodiにあったショップに応募しました。2回の面接を経て、念願のショップスタッフに。最初はお洒落の仕方も自分に似合うスタイルも分からず、黄色の無地のTシャツ1枚だけを着て出勤して怒られたり…(笑)ラッピングの時に緊張のあまり手が震えたり、慣れないミシンを練習したりと、大変なこともありましたが、優しい上司と同世代に囲まれて、学業と両立しながら楽しい販売員生活を送っていました。

エピソード2:舞台は念願の青山・表参道に!

大学3年になると、キャンパスが青山に移り、憧れだった青山・表参道に毎日通うようになります。アルバイトもお店を異動させてもらい、渋谷店と原宿店で働かせてもらいました。全国展開を行うカジュアルチェーンのブランドでしたが、渋谷店・原宿店となると洋服にこだわりが強い先輩方が多く、毎日たくさんの刺激をもらいました。“お昼を買ってくる”と言って出て行った先輩がご飯ではなく、10万円くらいのアウターを買って戻ってくるみたいなことが日常茶飯事で...(笑)僕もミーハーで影響されやすい性格なので、渋谷・原宿での2年で死ぬほど洋服を買い込みました...。もう10年前の話になりますが、当時の上司に言われた「色々な服を知っていて、色々な服を着ている人からお薦めされた方が言葉に説得力あるやろ?」という言葉が今でも印象に残っています。もちろん販売も楽しかったのですが、自分が好きな服と自分が好きな人達が働くブランドをもっとたくさんの人に知ってもらいたいという気持ちが芽生え、この頃からブランドプレスに興味を持つようになった気がします。

エピソード3:インターンシップで「編集」に没頭!

大学4年になり、就職活動真っ只中。今後の人生について考える時間も増え、もっと色々な経験を積みたいと人並みに思うようになり、アルバイト以外の活動として、インターンシップをやりたいと思うようになります。就職はアパレル会社に就きたいと思っていたので、インターンもファッションに関連するものを探していると、同じ学科の友達から雑誌の編集のインターンを紹介されました。なんとなく“雑誌とファッションって関連するよな”くらいの気持ちで面接を受けにいき、社員が3名しかいない無名の会社、無名の媒体でしたが、とりあえずスタートしてみました。ここでは“編集ページ”を担当し、ファッションのリースやグルメ取材のアポ、コラムのオファーなどを行いました。電話の掛け方やメールの書き方、文章の書き方、撮影のディレクションの仕方など、制作においてかなり実践的なスキルを身につけることができました。怒られたり、自分の不甲斐なさに失望したりと、大変なことばかりでしたが、アーティストやタレントの撮影も多く、仕事自体は楽しかったので、学校・就活→バイト→インターンと繰り返す日々が続きました。最終的には巻頭ページの企画も任せてもらい、小学生の時から大好きだったアーティストのインタビュー企画を実現することができ、より東京やファッション、編集、業界の魅力に引き込まれていったのを覚えています。

エピソード4:新卒として、アパレル企業に就職。

インターンも修了、大学も卒業し、アルバイトをしていたアパレルの会社に新卒として入社し、社員として働き始めました。この時点で既に4年、お店の経験はあったこともあり、埼玉のお店で半年働いた後、神奈川の新店にオープンスタッフとして異動になりました。趣味でDJもやっていたこともあり、この頃は仕事しては朝までクラブに行ってまた働いてというのをよくやっていた気がします...。まだ入社して1年くらいの新米でしたが、一刻も早くプレスになって本部に異動したい!と強く思うようになります。スタッフが何千人もいる会社でどうすればプレスとして目に留めてもらえるか?を毎日考えていました。(どうやってプレスになったかの話は後日別のnoteにしっかりまとめる予定です!)上司に希望を話してみたり、本部の方がお店に来たら自分の展望を語ってみたりと手当たり次第に自分をアピールし、SNSで本部の人と繋がって、クラブで著名人と写真を撮ってはアップしてみたり...(今思うとハチャメチャなことをしてました)。最終的には社内公募制度で手を挙げ、書類審査・面接を経て、運よく入社から1年半で憧れのブランドプレスになることができました。

エピソード5:早すぎる挫折と転職。

会社内で見るとシンプルに部署異動なのですが、体感としては別の会社に来たくらい、やることがガラッと変わり、右も左も分からない毎日が続きました。憧れのプレスになったものの、会議に出ても何の話をしているのかすら分からない。意見を求められても何も言えない。プレスになって何をしたかったんだ?とだんだんネガティブになってきて、アルバイトも含めてこの会社しか知らない自分がいけないんだと、外の会社に目を向けるようになりました。今思うとタイミングが悪かったと思うのですが、インターンシップをやっていた会社の社長から”社員が1人辞めてしまったので、助けて欲しい”とタイムリーな連絡を受け、逃げの気持ちを肯定化する為の変な正義感もあり、労働条件も給与額も聞かぬまま快諾し、ずっと憧れてやっとの想いでなれたブランドプレスを3ヶ月で辞めてしまいました。

★新社会人になる人にアドバイス(希望の会社に入社できたならば...)
・「大変」は成長のチャンスなので、逆に大事にするべき。
・「辛い」は誰かに相談しながら、自分の気持ちを冷静に判断するべき。
・「辞めたい」はなぜ辞めたいか?辞めて何するのか?を明確にするべき。

自分の経験に置き換えると、当時は「辛い」気持ちが先行してしまい、とにかく逃げたくなってしまっていたので、冷静さに欠けていたように思います。結果論、転職して得られたモノも大きかったので結果OKですが、この時に踏み留まってプレスとしての経験をしっかり積む道も大いにあったかなと思っています。心と身体の健康が1番なので、無理に会社に残らず転職しても良いと思っているタイプですが、当時の自分は甘かったなの一言に尽きます。せっかく入った会社、せっかく辿り着いたポジション。仕事を辞めたいと思ったら、その理由を明確にして、本当に辞めて良いのか?何度も自分に問いかけてみて下さい。感情的でない、あなたにとっての正しい選択ができるはずです。

エピソード6:朝まで仕事が当たり前。
”営業”と”編集”に明け暮れた3年間。

「辛い」の一心で転職。インターンシップで働いていた会社なので、気楽に仕事をできるかなと思いきや、大学生の時のように「編集ページ」だけ作っていれば良いのではなく、売り上げになる「広告」を売らないと周りの目も徐々に厳しくなっていきます。お店で洋服の販売をしたことはあっても、広告枠の営業はしたことがなかったので、アポの取り方・売り込みの仕方も分からず、ここでも右も左も分からない日々が続きます。媒体自体もエリア限定で無名。全てが代表電話からの新規営業なので、最初のアポが取れるまで焦りと不安でいっぱいだったのを強く覚えています。アポが取れても広告出稿という結果がなかなかついてこず、昼間は営業、夜は編集と働いていたので、編集の合間の夜中に営業会議が開かれ、枠が売れないことに対して怒鳴られ、一時期は自分が何について怒られているのか?も分からなくなるほどまでに疲弊していました。朝陽が空からのお迎えに感じたこともありました(笑)。それでも入社2ヶ月目には枠を売ることができ、最終的にこの会社に在籍した3年間で売り上げを270%(対入社年比較)まで伸ばすことができました。正直、何度も辞めたいと思いましたが、憧れだったプレスをたった3ヶ月で辞めてしまった自分に対する変な意地だけで耐えていた気がします。

営業を取ってきては夜中までクライアントの為にページを自分で作るの繰り返しで、心も身体も擦り減る自転車操業の3年間でしたが、本当に幅広いジャンルのクライアントさんの企画を担当させて頂き、本当に良い経験をさせてもらったと感じています。無名ではありましたが、独自のオファー能力で毎号3名の俳優さんや女優さん、アーティストの方々に出演して頂いていたので、3年間で約60名もの一流の方々のお話を間近で聞くこともでき、人としても良い勉強をさせて頂きました。また、雑誌の仕事以外にもクライアントさんの広告のクリエイティブや社内広報誌の制作、イベントのキャスティング、政府観光局のお仕事など、雑誌を軸にたくさんのお仕事をさせて頂き、あっという間に3年間が過ぎました。

エピソード7:アパレル業界に戻ることに!

転職してちょうど3年が経った頃、前職の先輩から“元気か?”との連絡があり、食事をすることになりました。特に転職は考えていませんでしたが、今の仕事内容や今後のこと、休みも少なくお給料も少ないことに対する不安を話していると、”うちの会社に戻って来ないか?”と言われ、びっくりし過ぎて一瞬フリーズしましたが、自分の心の弱さからたった3ヶ月で手放してしまった憧れのプレスにもう一度なれるチャンスかも?と思い”お願いできますか?”と返事をしました。そこから、プレス時代の上司と面談を重ね、マーケティング本部長との面接を経て、元々いた会社のマーケティング本部に転職することができました。

エピソード8:2020年2月現在

2017年9月から現在の会社に戻り、最初の1年はブランドに所属せず、マーケティング本部として、ブランドのサポートや会社としての施策の企画&実行を行い、2018年の9月からブランド所属になり、ブランドプレスとして毎日仕事をしています。現職に関しても、良いタイミングでnoteに書ければと思っています。

まとめ

改めてまとめてみると、18歳からの12年間、色々な変化とそれなりに修羅場を切り抜けてきたなと感じています。今は退職代行などもあるので、仕事を辞めることは簡単ではありますが、辞める際は“なぜ辞めたいのか?”、“辞めて解決するのか?”、“辞めてどうするのか?”など、自分が納得するまでしっかり考えてみてください。自分は運が良かったので、現職に戻ることができましたが、もしあのご縁がなかったら今頃どうなっていたのだろう?とたまに考えます。“今”というのは今までの自分の決断の積み重ねです。他の誰かのせいにすることはできません。だからこそ、自分の気持ちを大事に、自分にとっての正しい決断を常にし続けて頂ければと思います。

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