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正義の行方

またしても記録漏れしてました2014上半期読書記録。

どうやら衝撃的な読後感があるものはアプリに記録を忘れてしまうようで。

こちらは4月に読んだ後にfacebookの読書コミュニティに感想文を投稿したので引用(多少修正あり)します⬇️


『正義の行方』木寺一孝

先日読んだ森達也さんの本で「飯塚事件」について書かれていて気になったので調べてみたらこの本に辿り着きました。


「死刑の在り方について、忘れてはいけない事件のひとつだ」とのこと。


森達也さんの本は10年ほど前のものでしたが、こちらはまさかのタイミングで今月(4月)出されていた新刊。

何かの縁かと思い購入して読みました。

1992年、二人の幼い少女が殺害された事件。

いくつかの物証と目撃証言、そしてDND型鑑定により逮捕、起訴されたものの、本人から事件の真相は一切語られないまま、死刑判決が下り、それから2年という早さで刑の執行。


絞首台に登る直前まで否認を続けた容疑者。

しかし刑は執行。それも再審請求の準備を進めている最中に。

死刑執行の後も弁護団による執念の取材、調査を続けられたそうです。


後に当時のDNA型鑑定の精度の低さや目撃証言の謎に包まれた部分、提出された資料が実際のネガフィルムをトリミングされたものだったり、警察の捜査への疑念など。


ちなみにこの事件は冤罪事件では有名な「足利事件」とほぼ同じくらいの時期に起きていて、足利事件で無実を訴えていた菅谷さんの方はDNA鑑定の精度の低さが注目され世間でも関心を持つ人が増えたために、世間の声もあったせいか東京地検は再鑑定を決定したそうです。が。


飯塚事件の容疑者久間さんの死刑が執行されたのはそのたった2ヶ月前。

なんだろう、そのタイミングは…というモヤモヤが。


それでもモヤモヤをハッキリさせるような真相はまだ分からず。
これだ!という決定打もなく。

ただただ何とも言えない疑わしさがモヤモヤ漂う事件だなといった印象。


ただ、本人も否認していて事件の真相が何も語られないままの死刑執行は正しいと言えるのか?と。

最後まで否認しつづけた容疑者は果たして真犯人で間違いないのか、それとも無罪、無実なのか?


早過ぎる刑の執行は間違いなくいけない事だったと感じます。

真相はなにも明かされていない。

動機も手口も不明。

裁判も死刑の執行もこんな杜撰に行われて良いはずはない。


ずっとなんとも言えない気持ち、目を逸せない内容で心が無になる感じで一心不乱に読み進めてました。

弁護団の執念の調査で進展したかに思えても、これといった決め手にはなかなかならない。

真相に辿り着くのは困難なのだろうな、という気持ちで。


ただし、それも本編までは。


そして最後の最後のエピローグ、最後の2ページで衝撃を受け呆然としました。


今からほんの2ヶ月前の2024年2月。

当時の目撃情報を当の目撃者が翻す証言を弁護団に対してしたそうです。


「二人の少女を見かけたのは別の日だったと何度も警察に伝えたけど「あなたは見たんだ」と警察に押し切られた」


と。


この証言が真実だとすると、逮捕の決め手となった他の目撃証言も意味を持たなくなり、警察の信頼も…


仮に真犯人が別に存在したとして、30年前の事件。もうそこに辿り着くのは難しいようです。

しかし、もしも無罪が証明されたらこれは国家による殺人。

重大な責任が問われます。


この事件が新たな局面を見せている今、今後世間が関心を向けるほどの騒ぎになるかは分かりません。

今の時点ではなんとも言えない、真相は分からないけど


「どーすんだコレ…」


と思わせるくらいの事に30年かけて今流れが来ているのかなと。

実際それ以降このような、容疑者から真相が語られない中のスピード執行、のような事は30年起きていないようで。

しかし、なんとなく有耶無耶にされて時間が経って世間の関心がなんとなく薄れて忘れ去られているような事件。

これは、目を背けていい問題ではないと感じました。


警察、弁護団、記者、それぞれの立場の「正義」

今年、この本がどれだけの人に読まれるのだろう、と気になる所です。


この執念の調査をした弁護団の方々はもう80歳前後の高齢に。

なるべく早く、闇に葬られないように動きが見られることを願います。


〜ここまで引用〜



6月のニュースでは再審請求を棄却、だそうですね。
新証言もあったようです。
どうもこの国の司法も腐ってきてるのかなと感じることが多い



今読んでる本でもタイムリーに、死刑囚の裁判を杜撰に進める司法問題の話が出てるのだけど

「死刑」がこんなずさんに行われてしまう、というのは決して自分達も他人事と思わず考えなくてはいけないと思う。

実際、この国は死刑求刑の数は以前より格段に増えているようで。

それが良いことなのか悪いことなのかはともかく

これで良いのか?
この方向で間違っていないのか?

と立ち止まって考える必要はあるかと。

司法の在り方というのは自分達の住む世界の在り方でもある。


そんなわけでこの一冊もかなり私には衝撃でした。

最近では袴田事件の件もあるし、他人事で無関心でいると司法が好き放題でもどんどん許すことになるわけだからなー。


考えさせらると同時に、そんな事が多すぎて複雑すぎて世の中を正しく受け止めるなんて無理すぎるな、とも。


まあ、出来る範囲で目を向けていけたらなと思います。

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