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民主主義サミット

今日はニュースを見ていてどうにも気になることがあった。9日にアメリカが呼びかけて開催したオンライン民主主義サミットだ。民主主義を軸とする国々が集まって話し合いをするという。それには専制主義国家とみなされる中国とロシアは招待されなかったという。ついついなるほどそうか、と頷いてしまうようなものだが、どうもデンマークで見てきた民主主義とはちょっと違うような気がしてならない。


民主主義は堅牢なものではない。それは平等を基盤にしているからだ。誰でも同じように扱われなければならない。そして誰でもそれを選択する機会が与えられなければならない、というのが民主主義のはずだった。したがって、過激な思想が入り込んで民主主義そのものを脅かす危険をはらむことを自覚している。そして喧々諤々なかなか意見がまとまらないという弱点もある。それでも平等に扱い扱われるというその姿勢が安心と信頼を生み、可能な限り尊重し合うという平和な日常を作るのだと信じられているのではないか。デンマークではこれを守るために、デモクラシーフェスティバルではどのような考え方であっても平和的な態度である限り参加可能であると聞いた。


独裁政治、専制政治が魅力的に見えることは実は多々ある。それは全員が同じ方向を向くような時だ。ある意味非日常的な状況だ。あたかも敵がいるように感じる時だ。しかし個々人は平和な日常生活を望んでいる。非日常が日常になっているような状態では幅広い知識や豊かな言葉でコミュニケーションをとることは難しくなるだろう。善悪の判断は置いておいて、しかし民主主義はそれを差別できるのだろうか。


今回の民主主義サミットは考えを同じくするメンバーだけで開催した。民主主義という冠を乗せたこの会議が自己矛盾に陥らないことを祈るばかりだ。

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