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ボランティア

日本でボランティアというと、無償で奉仕活動を行うというイメージがある。私は20年以上障害者のIT支援という目的でパソコンボランティアという活動をしてきている。交通費だけはいただくが、基本は無償の活動である。こういったボランティア活動は一人でやっている分にはどうということもないが、大抵仲間ができて活動の幅が広がってくることが多い。それはボランティア本人たちにもたいへん良い動機づけになり、活動の目的や対象、私の場合には障害のある方々にとっても良いことである。しかし行動範囲が広がったり連絡共有その他研修会などをするようになると駐車場代、会場費、場合によっては茶菓子代などが必要になってくる。全て持ち出しに頼っていると活動が金銭的に苦しくなるというジレンマに陥る。ボランティアを「奉仕活動」ととらえている限り根性論や使命感だけで「辞めたいなんて思ってはいけない」という自己マインドコントロールのような状況さえ生まれたりする。
実は私がパソコンボランティアを始めた時にまさにこの考え方をしていた。その後長年にわたってボランティアの心得というのを訪問した先々の障害者の方々に教えていただいてきた。コミュニケーションをとること自体が難しい場合や、教育を受ける機会が十分なかったりしてなかなか理解してもらえないことも多く、ボランティアというのは向かい合って座りこちらのやり方を教えるということではなく、ほんの少しの対話の中でも気持ちを聞きながら同じ方向を向いて一緒に考えて最後は決めてもらうという姿勢が大事だと次第にわかってきたように思う。
3年前デンマークに行ってフォルケホイスコーレの授業がない週末に学校近くの住宅地をぶらぶら散歩した時、たまたま地域の人たちが広場の整備をしているところに行きあった。中で焚き火もできる大きな東屋や、シェルターという屋根付きの寝袋スペースなど、立派な設備を備えた広場だ。ちょうどそういった工事の後片付けと地面を平らにならすという仕上げの最中だったようだ。だれでもいつでも利用できるような場所になるという話だった。別に予約を取ることもなく、ただの広場に東屋とシェルターがあるだけだ。フェンスも何もない。
私が一番初めに疑問に思ったのは「資金」である。東屋やシェルターを作るだけでもざっと200〜300万円はかかるだろう。デンマークには日本のような町内会や自治会はない。どこからそんなお金が出てくるのだろうという疑問だった。第2の疑問は「管理」である。これだけのお金をかけた広場を作ったなら、普通ならフェンスなどを作り、予約を取り利用料をもらって維持管理費に充てるというように思ったのだが、誰でもいつでも利用できるただの広場が立派に整備されているというものだった。例えば古くなって補修するとか、遊んでいれば物が当たって壊れることもあるだろう。そんな時は誰が修理するのだろうか、という疑問だ.
この資金と管理についてその場で、または後でフォルケホイスコーレの学生たちに聞いたところでは、自治体や地元企業が要望があれば進んで可能な限り援助をするとのことだった。これは初めて耳にした時は意味がよくわからなかったが、だんだん聞いているうちにあまりお金のことは心配しなくて良いのだということが感覚としてわかってきた。個人の手弁当にせよ、企業からの補助にせよ、自治体からの助成にせよ、頼まれたからしぶしぶ行うのではなく、どうやらみずから進んで行うもののようなのだ。ボランティア=自発的貢献的な行動、という意味合いがここではそのまま当てはまっていた。資金難に苦しむ必要がなく、自分が貢献したいことに周りや自治体が支援してくれるので思う存分貢献活動をしてください、ということのようだ。
この感覚の違いは日本にいてはわからなかっただろう。興味深い。

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