見出し画像

対話・対話・対話

フォルケホイスコーレというのは、デンマークを発祥とする成人向け高等教育機関だ。そこに留学した人はデンマークという文化と歴史に触れ、多くのデンマーク人に接することで考え方の違いに触れる。その違いは日本人にとっては周りに過剰な気遣いをせず、我慢することもあまりなく過ごせること、医療や教育が無料、税金は高いが失業しても生活に困ることがないこと、老後は十分な年金が支給されて人生の最後まで謳歌できるようにサポートされること、などが目につき、パラダイスのように映る。それからフォルケホイスコーレでは全寮制で同じ食事を取りながら数週間〜数ヶ月間いっしょに生活するので、連帯感や友情が生まれる。また心地よい対話の文化に入り、自分を見つめる余裕を持てるので内面のエネルギーを十分に蓄えることができる。このような素晴らしい体験をしたら、「日本にフォルケホイスコーレがあったらなあ」と思う人は少なくないだろう。

しかしデンマークのフォルケホイスコーレをそのまま日本に持ってきてもうまくはいかない。ちょっと考えればわかることだ。日本の文化伝統、価値観の上に作らねば日本に馴染んだ機関にならないからだ。そうすると必然的にフォルケホイスコーレとは何か?という問いの答えを日本仕様にアレンジしなければならなくなる。私は昨年フォルケホイスコーレから帰ってきてその答えを見つけられずに悩んでいた。単に人生に余白の時間を作り出し自分を見つめ直すだけで良いのか。本当に日本における生きづらさのようなものを解決できるのか。そのヒントを見つけることはなかなかできなかった。

ハロウィンの迫る10月末、オンラインのデモクラシーフェスティバルが開催され、私もいくつかイベントに参加して、対話を楽しんだ。その対話の中では自分の抱えている問題点を安心して吐き出すことが何度もできた。そしておそらく多くの人が同じように自分の考えを出したことで、それらが私の悩みに対する大きなヒント与えてくれたのは最大の収穫だった。

私なりに得られたヒントというのは、一言で言えば、日本を良く知るということだ。自分たちのルーツを歴史から読み解き、なぜ今のような社会規範ができたのか、歴史的に日本人の強みは何だったのか。それを対話しながらじっくりと考えることで、自分が次に行動すべきことを決められるようになるような気がした。デンマーク的手法を使って日本を理解するというそのことが日本のフォルケホイスコーレの意味となるのではないか、そのように考えることができた。これはとてもフレッシュな考えなので自分は気に入っている。

この3日間は自分は対話のトレーニングをするつもりで日に5、6時間のオンラインミーティングに臨んだ。大変疲れたが大きな収穫があった。これを持ってさらに自分の課題へのヒントを探していきたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?