見出し画像

(デンマークで感じた)安心ってなんだろう

「安心・安全な○○」は日本ではとてもよく聞かれる言葉である。これを聞くときは大抵の場合、政府や自治体や企業などの組織がなにかしてくれるのだろうな、と思ってしまう。この言葉を聞くたびに私の身の回りはますます安全になり、安心して暮らせるようになるような気持ちになっている。呪文のような言葉でもある。では安心・安全は誰かが与えてくれるものだろうか? 

安全の反対語は危険、安心の反対語は不安だろう。私の、私たちの身の回りには危険と不安が数多く存在する。それらをひとつずつ取り除いていってくれているのだろうか。この言葉が意味するところというのは。ちょっと考えてみると、この言葉はおまじないの類だということに気づいてしまう。人間は動き回るし、自然は変化し続ける。世界のことがすべてわかるわけでもなく知らない情報が沢山ある。いつも危険で、いつも不安の種は尽きないのが現実だろう。

だから本当は安全と安心は誰かが与えてくれるものではない。それを少しだけ強く気づかせてくれたのがデンマークの信頼関係というものだった。世界幸福度ランキングの要素の中に、市民同士の信頼関係というのがある。デンマークはこの信頼関係が高いことで有名である。汚職も少ない。この信頼関係を一言で言い表すのはなかなかむずかしいが、自分の体験からあえて言えば、お互い何を言っても受け止めてもらえる関係性となる。

日本ではなんでも言い合える友人という言葉があるが、これは長い付き合いの中で、人柄や性格、癖などを知り尽くしている、つまり人格の信頼関係とでもいうものだと思う。一方でデンマークの信頼関係はプライベートの深いところは立ち入らない。そこは大事にお互いに尊重してやたらと触れるようなことはない。すると相手の言っていることが完全には理解できないことになる。それをとりあえず受け止めてOKと言う、そのような関係である。

何を言ってもOKと受け止めてもらえる関係性の特徴は、相手に安心を与える関係だと言うことだろう。私はこれをデンマークのフォルケホイスコーレで何度も体験した。安心とは与えるものだったのだ。お互いに安心を与える関係がデンマーク流の信頼関係。これはとても興味深いもので、多様な価値観の人たちの間でも成り立つ信頼関係だろうと思う。もちろん、受け止めてOKとは言い難いところもあるだろう。そこはプライバシーの中に入れて、尊重不可侵のもの、相手に見せないものにすると言うテクニックで乗り切れるようだ。

こうして作られる安心と信頼関係は応用すれば誰とでも築くことができる。だからデンマークでは政治家と市民が同じ目線で話をし、子供から大人まで水平な目線を保てるのだと思う。お互いに安心を与えることができるというそこが、ポイントだ。

安心を得るためには安心を与えなければならない。という気づきはデンマークで得られたものだが、日本でも十分に応用できることだと思う。安心はただ与えられるものではないと思っていこう。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?