見出し画像

一緒に歌うということ

デンマークのフォルケホイスコーレではホイスコーレサンゲボーという歌本があり、それが集会のホールや、幾つかの教室に用意されていた。歌うとなれば、すぐに全学生に配布して歌えるようになっているのだ。私の滞在した2019年の夏コースでは音楽の先生はヤニといったが、彼女は抜群のピアノ伴奏で歌うことをこれほど楽しいものにしてしまうとは!とただただ毎回感心していた。歌うように弾くという言葉の延長上にある、踊るように弾くのだった。もちろん踊るのは先生ではない、歌う学生の心だ。この歌本の曲が大好きになったのはこの先生のおかげである。

デンマークと音楽のことについては何度かnoteにも書いてきた。言葉以外のコミュニケーションになるとか、共通の体験として深く記憶に刻まれるとかだ。もう一つ音楽として面白いのは、メロディーと歌詞だ。歌詞には歴史と文化が詰まっている。シンプルな表現にも、それを母国語とする人にしかわからない色がある。それが何色なのかは全くわからないが、それがあるはずだと思いながら聞いたり歌ったりすることは気持ちを落ち着かせ、少し暖かくする。そしてそれを乗せるメロディだ。たとえば人生思うように行かない、ひどいことが多いというような内容の歌詞であってもとても陽気な弾むようなメロディのことがある。歌詞の内容を知ってからびっくりすることもあった。

かつての地方のメッセージソングが都会化で集まり、その中から選ばれてきたというホイスコーレサンゲボーの曲。現在も編纂が進み、数年に一度更新されている。おそらく市民に伝えるべき内容も時代とともに変化しているに違いない。そういえば、子供から大人まで一緒になって歌う歌というのは日本にどれだけあるだろう。故郷や春の小川などのように小学校で習い知っている曲はいくつかあるが、残念ながら皆で歌うということはほとんどない。メッセージ性のあるものはなおさらだ。自分の人生を歌で鼓舞するような歴史と、自然や環境を深く感じ取り美しく表現して和をなすような歴史の違いなのかも知れない。

日本でも高齢者向けに歌を歌うという活動が地域に見られる。ただ、年代によって知っている曲がかなり違うので、老若男女が一緒に歌える歌というのが少ないのだ。一緒に歌うということが持つ力の大きさに気づき、国民が一緒に歌を歌うという機会を作れたら、生きづらさというのも多少は減って行く方向に向かうのではないかと思うのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?