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外から見たり中から見たり

年末である。早いものでデンマークに10ヶ月間の留学をして帰国してから1年半になた。もうすっかり日本人にもどってしまったのかというと完全には戻れない。高齢者への階段を登りつつ自分への危機感が募る中、これからどう生きてゆくのがいいのか模索する毎日、模索する中にデンマークで感じた懐の深い個人主義とか、ヒュッゲな居心地の良い対話とかがあってほしいという願望、そして自分の実際とのギャップに悩みながら過ごしているのだ。そんな中で高齢者の尊厳ある生活というものを日本では、自分を外から見て評価しようとし、デンマークでは、内側から見て評価しようとしていると感じたので、今日はそれを書いてみる。
尊厳をもって生活するということを自立した生活ができると日本では捉える。外から見て人の助けを借りない生活だ。自分の機能が衰えてゆくのに助けを借りずにいられるには、できない事をしない生活という発想になりがちだ。だから介護を受けることで外から見た自分はすでに尊厳を削られたように見える。だからといって自分が全てできるわけではなく、人々は支え合っていることを暗に理解して感謝することも必要とされる。つまり、一人で生きているように見えるが、周りには常に感謝しているとなる。
一方デンマークでは尊厳ある生活とは、行動に責任を負うことのできる生活だという。これは自分の生活を他人ではなく自分の意志で動かす、つまり内側から見て自立していると捉える。できないことはあるにせよ、他人の助けを借りてでも自分で決めていくのだ。そして衰えてきて自分で決められなくなることが尊厳の喪失となる。決めたことを伝えたり助け合うための対話が大変重要なのである。他人も自分と同じようにやっていると思い、尊重する。
こんなふうに考えると、尊厳のある生活を目指すのに背中を押してくれる言葉が日本とデンマーク、外側からと内側からの2つあるように感じる。
外側からのメッセージとしては、「
自分が主役の人生、目標を決めてあきらめずに努力する姿勢が素晴らしい。その陰には多くの人の助けがあって今の自分がある、そのことに感謝する
」、
内側からのメッセージとしては、「
自分は他人とは異なる自分の人生を生きている。自分が責任を負って行動し、それを対話でちゃんと伝えることが幸福。他人もそうなんだと思い尊重する。

どちらも励まされる言葉だ。そしてよく読むと、これらは別に対立しているわけでもない。この2つを臨機応変に使い分けることがこれからの自分に必要かも知れない。

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