見出し画像

時間に追われる感覚の正体

日本にいると、常に忙しいという感覚にとらわれている。時間に追われているという感覚である。特に会社勤めの頃はひどかった。この感覚が未来永劫続くのではないかと恐れたものだった。時間に追われる感覚というのは、後ろを振り向くとすぐ「締切」という壁が追いかけてきているというものだ。しかも壁は1枚ではない。後から後から無限に押し寄せてくるのだ。全力ではしっているのにすぐ後ろにいつも壁が追いかけてきているというのは、つらい。
だが、考えてみれば仕事に締め切りはつきものである。趣味でもない限り大抵のものには締め切りや納期やきまった時期というものがある。あらかじめわかっているそれらに合わせて進めればそんなに追われているような気持ちにならないはずなのに、と思うのだが、案外そうでもない。
壁に追いつかれずにゴールまで走り切ればその壁は消える。が、また次の壁が現れて追いかけ始めてくる。そしてこの壁(締め切り)はいろいろな原因で現れてくる。自分で計画を立てる時もあれば、会社からの命令の時もある。時期の決まっているイベントの時もある。どんな原因であっても追いかけられる時は追いかけられてしまう。
ここで思い出すのは3年前のデンマーク留学である。フォルケホイスコーレといって、コースを修了してもなんの資格にもならないが、自分の適性を見極めたり、教育過程の中のギャップイヤーとして多くのデンマークの学生が選択肢として持っている機関である。こちらでは締め切りの壁よりも言語(コミュニケーション)の壁の方が強かったが、それにしてもあまり時間に追われているという感覚がなかった。たくさんの締め切りの壁が学校から与えられたにも関わらず、だ。
なぜ追われていなかったのか。今思い返せばおそらく「振り返らなかった」からだ。ゴールを見続けたからではないだろうか。一つひとつのゴールに対して自分のできることを洗い出して考え、それでもどうなるかわからないときは思い切って体当たりする。そのようなことの連続だったからではないか。追いかけてくる壁から逃げ切るということではなかった。初めからゴールを見て、それに向けて戦略をたてトライしてきたのだ。
そうはいっても日本ではなにかと忙しい。フォルケホイスコーレのスケジュールだけを心配していればよかったデンマークとは状況が違う。たしかにそうだが、別の意味で少し反省するところもある。それは日本では「あまりゴールを見ていない」ということだ。つまりあまりにたくさんの壁に順番に追われていると気持ちにゆとりがなくなってしまい、ただ下を向いて走るだけのようなことになる。それどころか、わずかな貴重な時間を休むために「消費」するようになってしまう。余裕のない気持ちを休めようとするのだ。しかし結局時間を消費してしまうと壁がすぐそこまで追いついてくるので、あわてて逃げなければならない。まさに「追われる」身になるのである。
休むために時間を消費するとは、例えば、スマホで動画を見たり、小説を読んだりするなど、気分転換をすることである。これも時間を決めてできれば良いが、ついギリギリまで時間を使ってしまうことが多い。それほど時間潰しに事欠かない現代でもある。
追われる身から抜け出すにはどうすればいいのだろうか? おそらくそれは「ゴールを見」ればよいのだ。ゴールを自分なりに仕上げようとするとき、壁(締め切り)は怖くなくなる。なぜなら自分の戦略の一部になるからだ。次から次へと現れる壁に毎度毎度そんな余裕はない!と叫びたくなる。私は昔叫んでいたものだ。だが、ひとつ見落としていたようにも思う。それは自分の戦略の中に、回復するという項目が抜けていたことだ。ゴールを仕上げて自分が回復したとき、そこが本当のゴールではなかったか。今になってそれが実感として湧いてくる。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?