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Win-Win

ウインーウインの関係という言葉がある。人生の中で起きる多くのイベントは大抵勝ち負け、順番が決まることが多い。つまり相対的に勝ち負けがついてしまうことが多い。もちろんその勝ち負けというのはある一つの恣意的な尺度に基づくものであり、その勝ち負けが時間的にも空間的にも意味の上でも全てではないということを多くの場合イベントの参加者、当事者は知っている。だから「負けるが勝ち」とも言えるし、「悔しさをバネに」することもできる。この、勝負に対する距離感をコントロールするということは重要である。
私はデンマークに行って個人主義というものを目の当たりにするまでは、「人生はゲームである」という言葉に懐疑的だった。軽々しく人生をゲームにするなど不遜な考えに感じていたのだ。日本では勝つといっても他人に勝つよりも己に克つ方が重要だ。ゲーム感覚で己に克てるはずもないと感情的に思っていたのだ。ゲームとは明文化されたルールに沿って互いに技術を競うものだ。勝敗はルールによって決められるから、自分はルールをよく理解し、戦略を立てて修練する必要がある。つまり良かれ悪しかれ明文化されたルールという尺度で競うわけで、これが人生の全てではないというのはある意味わかりやすい。一方日本流では己を高めるという漠然とした目的のもとにストイックに自分を追い込むような修練をするように思う。とすると、それが自分、自分の人格についてのことであるから、とてもゲームとは思えない。まさに自己に密着しているのだ。それが勤勉さや真面目さを持つと言われる一つの根拠なのかもしれない。
Win-Winというのは私には、一つの知恵のように聞こえる。双方のどちらにも利があるような課題解決の結論のようだからだ。ゲームでは明確なルールのもとに勝敗が決まるのに、Win-Winではどちらも勝者なのだ。ちょっと考えるとおかしい。これはゲームではないという感じがする。しかしビジネスの世界でこの言葉が聞かれるというのはなんだか興味深い。ゲームというのはルールによって勝敗が決まる。だから、おなじ出来事でも①のルールではAの勝ち、しかし②のルールならBの勝ち。一つのゲームに二つのルールでは普通は互いに認め合おうとしないだろうが、現実問題として行動の結果が同じことなら、「ま、いいんじゃない」と考えようということなのかもしれない。
明確なルールによって勝敗が決まる、そしてそれは人生の中の小さな出来事である。ルールは多様に存在するので、出来事の見方も多様に存在する。この考え方がデンマークで見た個人主義にあった様に思う。多様なルールで自分を観察し、自分の多様性を測る。それが自分を無意味に追い詰めることなく戦略的に時には楽観的に人生を捉えられる手段になっているように感じたのだった。

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