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選挙公報が届いた

今日参議院選挙の選挙公報が届いた。私は地区の選挙管理委員会からいつも直接送ってもらっている。ネットでいくらでも情報を得ることはできるが、やはり紙面で見た方が候補者や政党の思いがにじみ出ているように感じて興味深い。世代だからかもしれない。
選挙は民主主義の象徴だ。自分の日々の暮らしのこと、地域や企業の中のコミュニティのこと、人生のステージにかかわること、よその国との関係のこと、日本という国の世界の中での位置のこと、さまざまなことを考える機会を与えてくれる。
今回はちょっと面白い試みを見つけた。ボートマッチという。自分が政治家や政党と同じように課題に答えて、それがどの候補者、どの政党にどのくらい一致しているかという度合いを表示してくれるサービスだ.これはとても興味深い試みだと思う。最初の1回目は自分は多くの課題についてどの位置にいるのかを確かめることに興味がある。2回目になると自分が好感しているところとの距離がわかるので、どう答えればそこに近づくのかに興味が移る。それは単なる答え方を知るのではなく、なぜその答えになるのかという考え方を見つける作業になる。さまざまな質問に自分が答えることによって自分の考えが整理されるという効果があった。一方で自分はあらかじめ用意されたカテゴリーの質問に答えることしかできないので、それ以外の課題を論じることができない。つまり質問者によって自分が大切にしているものを限定される可能性もあるということだ。ゲーム感覚でとっつきやすいボートマッチだが、そこで考えたことが全てではないということまで考えて臨むことが大事だと思う。
その点、選挙公報は自由である。書きたいように書けるから、それこそ多様性を感じる良い機会だ。そして現代の抱える問題を肌身に感じて自分の言葉で表現するのであるから、その問題意識を読み取ろうとすることは必要だろう。デジタルとアナログを両方使って自分自身の考え方に気づくというチャンスを得られるのはうれしいことだ。
デンマークに留学して帰国してから2年、民主主義についてもいろいろ気付かされることがあった。その中心にあるものは対話である。安心して対話できないところに民主主義はないという信念のようなものを感じている。それは同時に日常生活のことであり、幸福の追求のベースになっている。現代の多様性ということを考えるには自分と異なる考え方に触れなければならない。それには安心してコミュニケーションすることが必要だからだ。ボートマッチは確かに自分の考え方を気づかせてくれるが、あくまで個人の範疇にとどまっており、それが対話へと結びつくかというとそうでもなさそうだ。デンマークの「国民会議」のようにお祭り気分であらゆる主張が議論されるような社会はもう少し先になるのだろうか。

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