疲れを自覚すること
誰でも疲れれば「疲れたなあ」と思う。疲れを自覚するわけである。夢中にることなどがあって自覚を逃すことがあるかもしれないが、意識をすることができれば自覚は可能だと思う。ただ、この自覚が難しくなるケースがある。それは感情によって疲れたという自覚が阻害される場合である。
あらゆる行動の根源は感情ではないかと思う時が多い。論理ではない、論理から引き起こされる感情によって行動すると言うことだ。私は感情に支配されて行動している、と気付いたのもデンマークのフォルケホイスコーレだ。これまでとほとんど忘れていた、全く異なる感情を生活の中で持つ(思い出す)機会が得られたことが大きい。その感情を大雑把に言えば、「時間を使うことのワクワク感」となろうか。それまでに持つことの多かった感情「時間を消費することの空虚感」とは対極にある感情である。
この感情は実に「疲れの自覚を見逃さない」感情でもあった。というのも、ワクワクしながら時間を使うためにはコンディションを整える、段取りをする、全体を見通して結果を想像する。そのために必要なことを考える。いわゆる「戦略」を立てる必要があるからである。それが思うようにいかないとき、「あ、自分は今疲れているんだな」と気づくことができるようになった(ような気がする)。また単なる疲労感だけではなく、一つの考えがぐるぐると頭の中を回っていたり、よからぬ方向へ考えが流れそうになったり、そんなときに「あ、これは」と気がつくようになったのである。
このように疲れに気づくことができれば話は早い。「少し休もう」となる。ではどう休むか、それも戦略である。自分を回復させるものが何かを考える。短い睡眠か、リラックスする音楽か、一杯のコーヒーを味わうか。タイパ(タイムパフォーマンスのことをこう言うらしい))のもっとも良いものを選択して行動に移すのだ。このこと自体も一つの「休み」である。
私はもともと「疲れて動けなくなるまで」仕事を続けるタイプなので、意識して疲れを自覚する習慣がなかった。十分に馴染んだ環境の中で、動けなくなる直前までほぼ全力が出ていればそれもありだったかもしれないが、年齢が上がり、ちょっと疲れるとたちまち効率が下がったり、体が痛んだりするようになると早いうちに疲労に気づくことが重要になる。切実である。幸いにもフォルケホイスコーレでは全く馴染みのない環境の中で疲れ切って動けなくなることが許されない状況だった。コミュニケーションや文化の違いから自分は自分でしか守れないということだからだ。だから自分の体調を常に意識して過ごすということで疲れを自覚する訓練ができたと言うわけだ。
頭が重いとかやる気が出ないと言うことだけではなく、思ったように考えが進まなかったり、マイナスの感情が湧き出しているようなときも自分が疲れているとわかるようになったことは、デンマーク留学の大変大きな収穫だったと言えるだろう。
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