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ある日の自分観察日記④ 恋の訪れに鈍感で臆病な理由


幼い頃から、「あなたは勘が鋭い」と言われることが多かった。

その勘が冴えていたおかげで、色々得する機会もあったし、「自分だけの特技」を見つけることもできた。

だけど、とても鈍感な部分もある。

それは、「恋の始まり」「恋の訪れ」を察知する能力だ。


私への好意を色んな形で示してくれる異性が目の前に現れても、傍でそれを見ている第三者から

「○○さんは夢見鳥さんのことを、女性として好きなんだってば!」

と言われるまで気づけないことが多い。

なぜこんなに、異性からの恋愛アプローチに関してだけ、鈍感で気づきにくいのだろう?
そう思いながら胸に手を当ててみる。

どうやら自分の中には、恋愛に関する強固な心理ブロックがいくつか存在するらしい。


…………


まだ十代の頃、私にラブレターをくれた異性がいた。
熟慮の末、その人との交際は困難と判断し、丁重にお断りした。


ところが後日、その人が私に関する悪い噂を流した。
私がその人を一方的に好きになり、しつこく追いかけてくるので断ってやった、という噂。

その時、周りの友人は
「あなたみたいな真面目な人がそんなことするなんて信じる人いないから、ほっときなよ」
と言ってくれた。

その言葉には大いに救われたし、これをきっかけに私を見限ったりする友人は一人もいなかった。

けれど、いわゆる「ゴシップ好き」なほかの同級生からは、ヒソヒソと陰口を叩かれ、笑われた。

この時私は、「足をすくわれる」ことの怖さを思い知った。

また、このような苦い思春期の経験を乗り越え、大学卒業後に法学を勉強していた時期には、「後々のトラブルに発展する可能性があることに関しては日時入りの記録を残す、証拠を保全する」ということを最重視するようになった。

とりわけ、恋愛に関しては感情のもつれによるトラブルがつきもの。

後々関係に亀裂が入った時、「言った・言わない」の水掛け論に発展するのが一番精神的に堪える。

また、中には関係が破綻した途端、
「○○さんから言い寄られたからお付き合いしてあげただけであって、私の中にはなんの感情もなかった」
と、元恋愛パートナーから侮辱された人なども身近に存在した。


さて、こんな自分自身や周りの人たちの苦い経験を踏まえ、恋愛に関してもけして「気を抜く」ということをしなくなった。

好意や恋心は、ふとしたきっかけで憎悪や怨念へと変わるもの。
それは恋愛関係に限らない。
友情関係でも多発することは私自身、学習済みだ。

ただ、気を抜かないようにしているからこそ、はっきりと「お付き合いしてください」と言われるまでは、他者から向けられる恋心を「見ないフリ」するのが上手くなった。

でもそれって、「自分を誤魔化している」ということでもある。

恋の駆け引きの楽しさ・醍醐味は、相手の想いに気づいているのに気づかないふりをする、ということも含まれているはずだけど、あまりにも知らん顔をしてしまうと、大切な恋が逃げて後悔することも。

いまだにこの辺の見極め、判断に苦労する。


…………

ただ、そんな「恋の始まり」を読み取るのが苦手な私を、好きでいてくれる人もたまに現れる。

そういう人の存在に気づけた時こそ、一番他者に悟られたくない、私自身の弱点も含めてすべてさらけ出し、その人の胸に飛び込んでいくようにしている。

その時こそ、相手からの好意を負担に感じることなく、私からの素直な愛をその人にお返しできるから。


これからも恋に不器用で、警戒心の強い自分は変わらないだろう。

だけど、そんな私を好きになってくれる人、ずっと好きで居続けてくれる人に、無理のない愛情を贈っていける私でありたい。




本日の記事は以上です。
ここまでお読みいただき、ありがとうございましたm(__)m

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