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映画『香川1区』

※2022年1月29日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。


 政治家小川淳也に密着した、大島新監督のドキュメンタリー映画『なぜ君は総理大臣になれないのか』(2020年)の続編。昨年の衆院選に至る約半年間の記録となっている。

 前作で描かれた小川は、有権者としっかり対話をし政策本位で行動するという、一般的に理想とされる政治家像だった。にもかかわらず選挙戦では、激戦の末で自民党の平井卓也に勝利を許すことが多い。永田町の論理に翻弄され、理想と現実の間で葛藤を強いられる。

 しかし、果たして、その「理想」のような政治家を、私たちは本当に総理大臣にしたいのだろうか。実際には清濁併せ呑み、理想はあくまで理想と脇に置ける政治家をむしろ望んでいるのではないか。つまり『なぜ君は総理大臣になれないのか』という映画を通じて、観客は『なぜ私たちは君を総理大臣にしないのか』を自らに問い直す。そういう映画だった。

 さて今作『香川1区』はどうだろう。前作は(監督は否定するかもしれないが)基本的に小川やその周辺にひたすらカメラを向け、小川を描く映画だったのに対し、今作は視点の第三者性が増したように思う。

 例えば、四国新聞が平井に好意的な報道を量産する点を批判するに当たり、前作は小川陣営が呆れながら不満を示すというシーンを通じて描いていたところ、本作では監督によるナレーションが中心となった。つまり、平井の手法のアンフェアさや疑問点への触れ方が、小川側を通じた間接話法ではなく製作側の直接話法へと変わったのである。

 映像も平井側の選挙戦に関する取材が増えた。議員会館での直接のインタビューに始まり、政治資金パーティーをめぐる疑惑、組織票の実態、聴衆の動員など、小川を離れたシーンが多くなっている。

 普通、対立する二者の一方を批判する際、他方の当事者による批判を垂れ流すよりも、第三者による意見として見せられたほうが「公平」だと思うはずである。ところが、本作は間接話法から直接話法へと変わったことで、むしろ「小川が善、平井が悪」という善悪二元的な印象がより強化され、「小川を善く描き過ぎではないか」とも思えてしまった。

 実際、本作で小川の頼りないところとして描かれるのは、選挙戦スタート直前になって現れた維新候補に立候補取り下げを依頼した件に関する独善気味な姿勢くらいである。それくらいしか実際にないのだと言われればそれまでだが、本当にそうなのか?と穿ちたくなる。小川のヘマを期待しながら見ている自分がいるのである。

 そう。決して「平井にも善はあるだろ」ではないのである。あくまでも「小川って本当にそんなに善なのか」なのだ。善の中にある不完全性、矛盾のほうに興味をそそられる。この内なる心理に観客が気付いたとき、自民一強を生んでいるものの正体をつかむような思いになる。

 ところでこの取り下げ依頼の件で、小川が田崎史郎に猛烈に八つ当たりするシーンは見ものだった。あの当時、報道に接したの中には、小川も結局は打算的な動きをするんだなと受け止めた人も多かったと思う。失望というよりも、それが小川の政治家としての「成長」とさえ見ることだってできた。

 しかし実際の小川は違った。取り下げ依頼は、裏からコソコソ手を回すようなやり口ではなく、それこそ真正面からのものだった。田崎に対して激昂したのも、姑息さを咎められたことへの逆ギレではなく、あくまで取り下げ依頼こそ正論だという信念によるものだった。

 言っていることは正しい。なのにちょっと「がっかり」する自分がいることは否めない。やはり、私たちは小川を総理大臣にできないのかもしれない。

(2022年1月25日、シネマート心斎橋で鑑賞)

シネマート心斎橋にて

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