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同じ場所から同じ映画を見ること

 座席指定制の映画館。売り場に「満員」の表示が出ているのを横目に、引き換え済みのチケットで検札を受け、最前列の左から2番目の席に荷物を置いた後トイレへ行った。

 開映直前、トイレから戻りシアターに入ると、隣の一番左の席に若い女性が座っているのが見えた。

 私が席に着こうと椅子から荷物を引き上げたところで、女性が声を掛けてきた。片言だったし、学生街の映画館だから、おそらく留学生である。「友達と来ていて、向こうに座っているんですが、代わってもらえませんか」と言われた。

 少し逡巡したが、席によって料金が変わるわけでもないし、「友達」が座っているのも最前列の席だというので、まあいいかと思って承諾した。

 「友達」は男性で、彼もまた留学生のようだった。交換した半券を見たら学生料金だった。

 いい映画を見たときは、見る前と見た後で世界が違って見えたり、見る前の自分とは少し違う自分が生まれていたりするものである。菊地成孔は昔、「音楽は治癒効果から逃げられない」と言ったが、映画もそれに似たものがある。

 しかも映画が観客にもたらすイリュージョンは、観客ごとに異なる。目の前に映る事件は同じなのに、体の中で起こっていることは違う。だから観客同士の関係性は、赤の他人よりもさらに他者性が強まるように思う。

 「友達」の彼女・彼は、私が席を代わったことによって、同じ場所から同じ事件をスクリーンの中に見ることになる。そして映画館を出た後、おそらく彼女・彼は、違う種類の変化を遂げて出会い直すことになろうかと思う。

 違う位置から違う方向で見ていれば、まだ言い訳がついたであろう他者性のエスカレートを、彼女・彼がどう受け止めていくのかは、私には知る由もない。作品は、三宅唱監督の傑作『ケイコ 目を澄ませて』であった。

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