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古谷敏郎著『評伝 宮田輝』

※2023年1月31日にCharlieInTheFogで公開した記事(元リンク)を転載したものです。


 日本のテレビ黎明期に『三つの歌』『のど自慢』『ふるさとの歌まつり』といった番組の司会を担当し、高橋圭三と並んでNHKの芸能アナウンサーのモデルを作った宮田輝(1921-1990)の評伝です。著者は1989年入局でやはり芸能畑を経験してきた現役NHKアナウンサーです。

 ラジオからテレビへの転換期における放送現場の変化を描くことが本筋にあるのだと思いますが、本書の射程は広く、私の関心は政界進出の舞台裏に向きました。

 宮田は1974年、突如としてNHKを退職して参院選全国区に自民党から出馬、トップ当選を果たしています。当時の首相は田中角栄、NHK会長は小野吉郎です。小野は元郵政事務次官で、角栄が郵政相の時代に放送免許大量交付や民放の新聞系列化等に役割を果たした人物でした。のちに会長となるシマゲジこと島桂次が著書で明かしている通り、宮田出馬は角栄がNHK側に差し出させたことによるものだそうです。

 本書は当時を知る関係者や、宮田邸に残るメモ書きから、当時の真相に迫ります。興味深いのは端々に見える宮田の「サラリーマン」としての意識です。

 退職直前、副会長との面談で伝える内容をあらかじめ書き留めたと思われる宮田のメモには「NHKの首脳部のおすすめと NHKの危機に対する外側からの働きをということが 出馬を考えた一番の発端なので 私としては出向のつもりで NHKのためにも 努力したいと思う」とありました(256ページ)。

 普通に考えれば、一度選挙に出た者が公共放送のアナウンサーに復帰できるはずなどありません。それでもなお、「出向のつもりで」と書いているわけです。

 本人にも野心がなかったわけではありません。ふるさと再生への思いは強かったようです。周囲からの出馬要請に対し、無所属での立候補を当初検討します。しかしさらなる説得に押された結果、田中派ではなく大平派から出るというところに落着しました。

 宮田は出役としての才能はもちろんのこと、長期出張中の他業務調整を自ら行うなど、職場でも慕われていました。芸能アナウンサー、すなわちエンターテイナーしてはもちろんのこと、サラリーマンとしても出来が良かったようなのです。

 サラリーマンが請いに請われて出馬して、しかし自民党にとっては客寄せパンダも同然。本書は著者による宮田へのリスペクトもあり、昭和記念公園の整備に関与したことを、政治家としての実績としてたたえていますが、トップ当選者に見合う功績には程遠いでしょう。

 本書では、参院選初当選後間もなく『週刊読売』誌上で青島幸男と行った対談のもようが引用されています。

 青島は語ります。知名度があるからこそ無所属で立つべきだった。保革伯仲、無所属がキャスティングボートを握りうる状況において「参院のあるべき姿に戻るのに、いまが曙だと思っている」と。

 宮田「しろうとにしても、ほんとうに訴えるものがあると言いたい」。青島「ぼくは参議院はしろうとでなきゃいけないと思っている。政治の専門家になるなら衆議院にお出になるべきだ」。宮田「政治のしろうとも必要」。

 「良識の府」だからこそ「しろうと」を、というのは55年体制時代の趣を感じさせる価値観ですが、特に宮田の「しろうと」主義はそれこそ素人参加型番組を長く担当し、全国を回った経験によるものでしょう。しかし「しろうと」で居続けるには、政界は無情の世界でした。

(文藝春秋、2022年)=2023年1月21日読了


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