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ウイスキー/アイルランド起源説 蒸溜技術の伝来(公式見解) 《歴史の授業⑤》


■ウイスキーの発祥を探る旅

前回からの続きです!

◇ウイスキー:アイルランド発祥説

歴史の変遷や、文化の伝播を考えた時に、
スコットランドよりも、アイルランドの方が、
(決定的な証拠はないものの)
「大麦麦芽の醸造酒」を蒸溜して飲んでいたのは、早いのではないか?

◇ウイスキーの誕生に必要な要素

ビール(的な麦が原料の醸造酒)
蒸溜技術

※ 蒸溜技術の伝播にはキリスト教が関係

では、どのタイミングでアイルランドへ「ビール(的なもの)」と「蒸溜技術」は、伝わっていったのか?


■ビールの伝来時期

《西暦375年》
ゲルマン民族がヨーロッパ各地への大移動を開始。
ここからの約200年間の大移動で、ビールづくりはヨーロッパ各地に伝播。

《4~6世紀くらい》
ヨーロッパ本土からアングロ・サクソン人がイングランドへ侵入してきて、すでに定住していたケルト人は大ブリテン島の北部(=スコットランド)や、アイルランドへ追いやられる。

このように4~6世紀頃に、アイルランドやスコットランドにビール(的な大麦の醸造酒)が伝わった可能性が高いです。


■蒸溜技術の伝来時期

メソポタミアで誕生し、エジプトで体系化された『蒸溜技術』
その伝播には「キリスト教」が大きく関係していると言われています。

具体的には『十字軍の遠征』によって、蒸溜技術はアラビア世界からヨーロッパ各地の教会へもたらされたというのが公式見解です。

その後、宗教改革の流れの中の『修道院の解体』によって、その蒸溜技術が『修道院 ⇒ 一般民衆』に広まったというのが通説です。

《1096年~1270年》
 十字軍の遠征(諸説あり)

十字軍遠征はいつからいつまで続いた? (europa-japan.com)

《14世紀頃》
 宗教改革の先駆的な運動が始まる

『今のキリスト教って、なんかちょっと違うんじゃないかな?』

《16世紀》
1515年:
教皇レオ10世が贖宥状を発売

1517年:
ルター(※1)がローマ教会に抗議
『おいおい! 紙きれを売るのはアカンやろ!』
 ⇒ 一般的にこれが宗教改革の始まりとされる

1536年~1539年:
イギリスで修道院が解体(※2)&財産没収
 ⇒ 蒸溜技術が修道院から民間に伝わった?

宗教改革 - Wikipedia
修道院解散 - Wikipedia

※1 余談ですが、ルターは「大のビール好き」で有名でした!
宗教改革に活力注入、ルターのお気に入りビール - ドイツ生活情報満載!ドイツニュースダイジェスト (newsdigest.de)

※2 イギリスの修道院解体は、直接的には「国王の離婚問題(ローマ教皇に離婚はダメ!と言われた)」ことによりますが、大きな流れとしては宗教改革の一環として位置づけられます。

このように、11~13世紀にかけて「十字軍」によって蒸溜技術がヨーロッパの修道院へもたらされ、14~16世紀にかけて「宗教改革(修道院の解体)」で修道院の蒸溜技術が民間へ伝わったと言うのが定説です。


■蒸溜器でワインを蒸溜

このように蒸溜技術がエジプトからヨーロッパ各地に伝わり、最初に蒸溜されたお酒は何だったか?

たぶん、ワインです。

当時、ヨーロッパでイケているお酒はワインだったからです。
そして、ワインの生産地=葡萄の主要生産地は、ヨーロッパの南側でアラビアに近かったからです。

ワインを蒸溜するとブランデーとなります。
(正確には透明なブランデーができて、それを木樽で熟成させると琥珀色のブランデーとなります)

蒸留するとアルコール度数が圧倒的に高くなりますから「保存性」が高まります。

「ワインが痛んじゃうから」とワインに、透明なブランデーを入れて、アルコール(日本語では酒精)を強くし保存性を高めたワインが、シェリーポート、マディラです。

なので、これらのワインは『酒精強化ワイン』と言うのです。

その後、「透明なブランデー=蒸溜酒」をワインに混ぜる(酒精強化ワイン)のでなく、蒸溜酒を木樽熟成をさせてそのまま飲む用になり、今日に至るブランデーの誕生となりました。

ちなみにブランデー(葡萄の蒸溜酒)が初めて文献の登場するのは、13世紀中頃のこと。

そこでは、医者で錬金術師のアルノー・ド・ヴィルヌーヴがワインを蒸溜したと言われています。

ブランデー誕生秘話|ブランデー入門|自家製フルーツブランデー サントリー・ブランデー サントリー (suntory.co.jp)

ただしこの時代、蒸溜酒はまだ医薬品としての「アクアヴィテ=命の水」でしたので、嗜好品として「お酒」として嗜まれるようになるのは、もうちょっと後のことです。


■蒸溜器でビールを蒸溜

ワインの次は、ビールが蒸溜器で蒸溜されることになります。

エジプト(=南側)から伝来した蒸溜技術が北上し、ヨーロッパ北部のワインのできない寒冷なビールエリアに到達したからです。

また、アルコール度数の低いビールの方がワインよりも痛みやすかったので、蒸溜によって保存性を高める必要性がワインよりも高かったこともあります。

大麦からのお酒(醸造酒)であるビールを蒸溜するとウイスキー(蒸留酒)になります。

では、ビールを蒸溜したのは、アイルランドが先だったのか? スコットランドが先だったのか?

ここが最大の論点です!
(話を引っ張り続けて、すみません。)


■次回に続きます!

今回のおさらいをすると、通説は以下の通りです。

・4~6世紀くらいにアイルランドやスコットランドへ「ビール(的なもの)」が伝わった。

11〜13世紀くらいに十字軍の遠征で、蒸溜技術がアラビアからヨーロッパの修道院へ伝わった。

・14~16世紀くらいに修道院の解体で、一般民衆に「蒸溜技術」が伝わって『ウイスキーが誕生』した。

ただ、ここからはチャーリーの妄想ですが、アイルランドには修道院解体後の14~16世紀ではなくて、もっと早い時代に「蒸溜技術」が伝わり、「大麦の蒸溜酒」が飲まれていたんではないかと、思うんですよね。

次回に続きます!

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