ホワイト・レボリューションに翻弄されたスコッチウイスキー 《スコッチ・トレンド史②》
■スコッチウイスキー人気の浮き沈みの歴史
大きな周期で繰り返すスコッチウイスキーのトレンドについてご紹介する2回目です。
今回は、このホワイト・レボリューションの続きからです!
■1980年代に相次いだスコッチ蒸溜所の閉鎖
アメリカ発のホワイト・レボリューションの影響は、アメリカ国内に留まらず、世界的な広がりを見せました。
アメリカではバーボンだけでなく、第二次大戦後に市民権を得ていたスコッチウイスキーも同じ「ウイスキー=ブラウン・スピリッツ」ということで売れなくなり、多くのスコッチ蒸溜所が閉鎖に追いやられます。
代表的な蒸溜所だけでも、下記の通りの閉鎖ラッシュです!
現在のスコッチ蒸溜所の開設ラッシュと真逆の閉鎖ラッシュ!!
閉鎖蒸溜所として超人気の「★ポートエレン蒸溜所」「★ブローラ蒸溜所」もこの時期に閉鎖しています。
(そして実は、現在のスコッチウイスキー・ブームの中、どちらの伝説的蒸溜所も、蒸溜を再開しています!)
■ちなみにポートエレン蒸溜所とは
ポートエレンはアイラ島南岸のキルダルトン地区にあった閉鎖蒸溜所です。(ラフロイグの西隣りにありました)
閉鎖後は、ポートエレンでウイスキーそのものはつくらないものの、麦芽製造工場(モルトスターと言います)として、主にアイラ島内の蒸溜所向けにアイラ島っぽいスモーキーな麦芽を出荷しています。
というか、「アイラ島の蒸溜所で、ポートエレン製麦の麦芽を使っていない蒸溜所はない」と言っても過言ではありません。
そのくらい有名な「ポートエレン」なので、スコッチ・マニアにはたまらない銘柄で、超プレミアがついちゃっています!
かの有名なTV番組『クレイジージャーニー』では、世界No.1のウイスキー販売店(個人経営酒販店において)に選ばれたこともある目白田中屋の店主:栗林幸一さんが、アイラ島に渡りポートエレンの地を訪れ、そこで「カッチョ良くポートエレンを飲む」というシーンもあったくらいです。
栗林幸一さんは、5000種以上のウイスキーをテイスティングして来たと言われる業界のプロフェッショナルです。
そして知識・経験だけでなく、その実直なお人柄から、BARの店主やウイスキー愛好家からも信頼の厚いウイスキー業界の有名人なのです。
■1970年代~1980年代のホワイト・レボリューションの一方で
話を戻して、ホワイト・レボリューションによるスコッチウイスキー不況についてです。
この頃は、スコッチウイスキーの原酒在庫がダブつき、
と言われたほどです。
一方で同時期、日本では、1杯目のビールの次の飲み物が、日本酒からウイスキーの水割りへと移行。
オールドに代表される昭和のウイスキーブームの最中でした。
結果的にホワイト・レボリューションによってダブついたスコッチ原酒の在庫は、1970年代〜1980年代にかけて、ドッと日本へとやって来ることとなりました。
そして、日本酒が売れなくなった日本酒メーカーが、自社の一升瓶用の充填ラインでウイスキーを充填するという荒業が編み出され、日本の「昭和の地ウイスキー」=「一升瓶ウイスキーの誕生」へ繋がるのですが、それは以前に記事化しています!
二級ウイスキー原酒の調達先は? そして一升瓶ウイスキーの正体とは?? 《一升瓶ウイスキー⑤》|チャーリー / ウイスキー日記 (note.com)
■そしてやって来たシングルモルト・ブーム
1980年代に入ると、次第に今までとは違うスタイルで、スコッチウイスキーが注目されるようになります。
そのスコッチ不況を救った救世主こそ、「シングルモルト・ウイスキー」なのです!
次回へ続きます!
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