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長期の不妊治療から妊娠、出産までを振り返る①不妊治療篇

2019年の5月から開始した不妊治療が終了しクリニックを卒業したのは、2023年の2月でした。
3年10ヶ月。金額にしておよそ300万円を不妊治療に注ぎ込みました(費用はざっくりです。助成金もある程度出たので実質200万くらい)
2回の採卵、8回の移植、1度の流産を経てようやく出会えたのは、かわいいかわいい女の子でした。



不妊治療を振り返る

よくやった自分。よくこんな辛い治療を続けてこれたと本当に思います。
ただ、「よく諦めなかった」とはいえません。内心は諦めていたから。

7回移植して、一度は妊娠したものの9週目前で流産しました。それが4回目の移植。その後もほぼ休むことなく移植を続けました。移植の無い月は別の治療をしたり。
頭の中は治療のことでいっぱいで、またちょうどコロナ禍だったこともあって他に楽しみもなく仕事にも本腰入らずで、なんだか今思えばずっと空白の期間でした。こうやってかわいい娘に出会えたので実際はやってよかった、必要な期間だったんですけど、不妊治療して半年とかで妊娠した人をSNSなどで見ると、なんでこんなに時間がかかったんだろうと出産後の今でも思います。これが不妊脳か。

最後の移植のとき

このときはもう早く終ることしか考えてませんでした。
私の場合、採卵はうまく行っていたほうで、2回めの採卵後に9個の凍結卵ができました。で、1度目の移植で妊娠しましたが流産。不妊治療はグレード(=見た目の評価。良いほうが妊娠しやすいと言われる)の良い方から移植するので、それで失敗すると結構ショックが大きいわけです。この後、これよりいい卵はないんですから。

流産後は2個移植したり2段階移植したり、子宮収縮の検査をしたり子宮内ポリープの検査をしたり、いろいろやりましたが妊娠反応はいずれも陰性の連続。本当に辛かったというか、むなしかったです。

移植の回数を重ねるにつれてだんだん治療自体が惰性になってきてしまい、本来子供が欲しくてやっていたのに、「私はここまでして子供がほしいのだろうか」と何度も考えました。
なので、だんだん凍結卵が少なくなるたびに、「あと3回で終わる」「あと2回で終わる」と、結果どうあれ終わることばっかり考えていました。

実際、出産まで行った妊娠をしたのは、悪い方からから2番目と3番目の凍結卵を二個移植したときでした。このとき、本当は3個移植を希望していました。早く治療を終わりたかったから。でも3個移植だと多胎妊娠のリスクが高いため医師の検討の結果できないことになり、2個移植になったのです。(このとき、最初に3個移植いけるみたいな話を先生にされて、あーやっと終わると思っていたらNGになったので、看護師さんに愚痴りました。ああいう期待をもたせるようなことは言わないほうがいいですよ、と)

なので、陽性が出たときは「本当かいな」という気持ちで、夫への連絡もせず、寄り道なんかしてダイソーで適当なものを買って帰った記憶があります。

不妊治療クリニック卒業となる10週まで毎週検診があるのですが、子宮に血の塊の影みたいなのがあったので、切迫流産ということで2週間会社を休みました。本当は大したことなかったのかもしれないけれど、以前の流産があったので先生も大事をとって休んだほうがいいということになり、診断書をもらって。でも会社は有給でなんとかなったし、ちょうど1月に経験者採用で入った方にOJTしてたので、その人がうまく仕事回してくれました。

これがちょうど1年前の出来事です。

その後、特に大きなトラブルもなく(28週頃にコロナにかかったけど軽症で済んだ)出産にいたりました。

不妊治療の保険適用について

私は保険適用になる前から治療をしており、さらに一昨年保険適用になった治療項目ではない自費診療の検査なども多くやっていました。保険適用後一度だけ保険で移植ができましたが、その後は病院側から、自費診療から治療している場合保険適用が認められない可能性があるのでこの後の移植はすべて自費で、と言われ、なくなく大金を支払ってました。

これも私の治療に対するイライラを増幅させました。

でも、総合的には保険適用になってよかったと思います。治療のハードルが下がることは多くの人にとって恩恵となるはずですし、若くて給料安いから治療できなくて、金銭的に余裕が出てきたので治療始めようと思ったらもう年齢的に厳しくなっていた・・・という悲劇、結構これまで起こってたんじゃないかと思います。それが少しでもなくなったとしたら本当に良いと思います。

不妊治療の支えとなったもの

大きくは3つ。

①新入り猫
流産後に気持ちを埋めたくて、迎えたのが1匹のオス猫。
来た当初は心配しっぱなしでした。食べない、寝ない、動かない・・・2日くらいその場にいたような…足痺れない?と変な心配も。もともと保護猫サイトで募集されてたのですが、このときすでに9ヶ月。なかなか人に慣れず貰い手がつくのに時間がかかったようでした。でもイチから新しく猫を飼うのは初めてで(すでにいるのは夫が元々飼っていた猫)あんまりこの言葉は好きじゃないけど、いわゆる母性というのが埋められた気がしました。

②K-POP
ヨジャドルだけですが、なんでこんなに元気がもらえるんでしょうか。
ちなみにハマった経緯は
NiziプロジェクトをYoutubeで後追いで見る
→ITZY、TWICEいいなと思う
→第3世代ドル(Red Velvet、Mamamoo、OH MY GIRL)にハマる、特にMAMAMOOはファンクラブも入ってる
→今は(G)-IDLEも好き。エンパワメント!!

③治療のことを打ち明けること
不妊治療だけでなく子供を産むことについて考えるワークショップみたいなのに参加して、全く知らない人たちだったので話しやすかったのもあり、そこから周囲の人に話すようになりました。
元々打ち明けてた人もいたけど、治療開始して3年くらい経ってから徐々に話すようになったかな。すでに治療の終わりが見えていた時期です。でも、それによって心のつかえが取れたという感じがしました。

ちなみに、大きい声では言えないですが夫はあまり助けにはなりませんでした。私が治療休みたいって言って反対されたこともあったな。今思うと信じられないや。でもたまに旅行行ったり外食とかは楽しんでましたけど。不妊治療はどこまでも女性の負担です。我が家の場合、支払いも私でやってたので(お金だけ出してもらってデカい顔されたらやだなと思った)
実家の家族には言ってませんでした。あまり辛いこと共有したくないので。


次は妊娠期間〜出産について振り返ろうかと思います。4月で仕事復帰予定なので、それまでにいろいろまとめておきたいところ。


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