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【ささ先生の学級通信②】跳び箱がダメなら縄跳びで!

こんにちは!タンザニアの学校で働いています、ささです!
前回の記事では、タンザニアに行きまでのお話をさせていただきました。


暗いニュースが多い日本にもの申す!

大人の引きこもり、うつ病、そして自殺…

タンザニアから日本のニュースを見ていると、このようなワードがよく目につきます。

そこまでいかなくとも、自分の選んだ道が納得できない、仕事の愚痴しか出てこない。日本にいるボクの友人の中にも、そういう人がちらほらいます。

ボクの住んでいるタンザニア、以前住んでいたパプアニューギニアに比べて、生活水準が高くものも豊かなはずなのに、どうしてこんなにも暗いニュースが多いんだろう。

引きこもりやうつ病、自殺などには、「自己肯定感」が関係しているそうです。

今日は自己肯定感についてお話ししようと思います!


自己肯定感が低い日本の若者たち

内閣府の調査によれば、以下のような調査結果が出ています。

日本の若者は、諸外国の若者と比べて、自分自身に満足していたり、自分に長所があると感じていたりする者の割合が最も低く、また、自分に長所があると感じている者の割合は平成25年度の調査時より低下していた。
(内閣府「令和元年版 子ども・若者白書」)

自分に満足していない日本の子ども(どちらかといえば満足していない人を含む)は、全体の約55%。他の国に比べても大きい数字のようです。

また、同じ調査では以下のようなことも書かれていました。

日本の若者は、諸外国の若者と同様、自分の考えをはっきり相手に伝えることができたり、うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組んだりする者ほど、自分自身に満足している者の割合が高かった。

うまくいくかわからないことにも意欲的に取り組む」に「そう思わない」あるいは「どちらかといえばそう思わない」と答えた人は、全体の約48.5%。

どうやら日本には、うまくいくかわからない、失敗するかもしれないことに取り組めない、そして自己肯定感が低い人が多いようです。

実はこれ、ボク自身も心当たりがあります。いまでこそ少し克服しましたが、周りの目を気にして、なかなか挑戦できない時期がありました。


失敗を恐れないパプアやタンザニアの人たち

周りの目を気にして、自己肯定感が低かったボク。パプアニューギニアやタンザニアで仕事をして気が付いたことがあります。
現地の方々に「一緒にこれにチャレンジしてみない?」と提案すれば、かなりポジティブに挑戦してくれるのです。

もちろん挑戦しても、必ずしも成功するわけではありません。しかし、失敗することに対するハードルが低いようで、「とりあえずやってみよう!」という気持ちの人が多いのです。

普段は失敗を恐れて挑戦に臆病になってしまいがちなボクでしたが、海外にいるとなぜかいつもより挑戦しやすいのです。これは、失敗を気にせず挑戦する周りの人に影響されているからかもしれません。


自己肯定感の種は、小さな成功体験の積み重ね

では、日本の若者は、なんでそんなに挑戦に憶病になってしまうのでしょうか。ボクが思うに、「成功体験が足りてない」ことが原因の1つなのかもしれません。

と、このように書き始めると、ボクが「むちゃくちゃ成功ばかりしてきて自己肯定感が高いすごい人間!」のように聞こえるかもしれません。

成功体験を積むためには挑戦しないといけないのに、挑戦に憶病になっている人は、どうやって成功体験を積めばいいんだ、と思う人もいるかもしれません。


さきほども言った通り、今でこそ少し克服されましたが、ボク自身、もともとは自己肯定感が低い人間です。
そんなボクが、どうやって自己肯定感を上げることができたのか。

それは、「成功体験」といっても何を成功とするか、つまり「成功」の捉え方がカギでした。


「成功」ってなんだろう?

何を成功とするか、ということに関連して、先日友人と話しててはっとした話があるので紹介します。

子どもの頃は「立った」「喋った」「身長が1cm伸びた」「嫌いなトマトを食べられた」…そうした些細な事で、成長を認めてもらえるじゃないですか。これって以前の自分と比べた成長であって、他の誰かと比べてるわけじゃないじゃないんですよね。だって、多くの人は立つし、喋るし、身長も伸びるでしょう。
それが「模試で●番になった」「身長が●●くんを抜いた」「試合であいつに勝った」「営業成績が地区でトップになった」…と、いつの間にかなんとなく他人と比べないと、成長を体験できなくなってきてしまった気がするんですよね。いつからでしょうかね、ほんと。

相手との勝負に勝つことがスポーツの醍醐味ですし、営業成績は会社でとても大事なことなので、それは素晴らしいことだと思います。

ただ、他者と比べる方法しか知らないと、苦しくなってしまいませんか?
みんなが跳び箱を8段飛べてたところを、自分は5段しか飛べなかったとすると、なんだか悔しいし、劣等感を感じてしまうかもしれません。

でも、みんなが跳び箱を8段飛べてたところを、自分は5段しか飛べなくても、明日6段飛べるようになったらそれって素晴らしいことじゃないですか。

もしくは、無理して跳び箱を頑張らなくても、他の人がやってないものや好きなもの、例えば縄跳びを極めればいいと思うんです。

こんな風に「成功」の捉え方をちょっと変えるだけで、少し気持ちが軽くなりませんか?


過去の自分を苦しめた「他人と比べる癖」

少しボク自身のことについてお話しさせてください。

小学校の頃のボクは走ることが好きで、走れば走るほど50m走のタイムがどんどん伸びていく楽しさに気付きます。

中学・高校時代は陸上部に所属して、「100mで11秒台を目指す」と目標を立てて陸上競技を楽しんでいました。

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しかし、大学に入ると、到底敵わない先輩や、自分を追い抜いていく同期、大学の試合のレベルの高さに、どこか劣等感を感じるようになってしまい、1年足らずで部活をやめてしまいました。

大学にも補欠合格で入ったこともあり、勉強でも苦労したし、周りの友達もどんどん彼女ができていくのに自分は一人…と様々なことで他人と比べみじめな気持ちになっていたのです。

その頃の自分は「他人と比べる癖」に取り憑かれていたような気がします。


跳び箱がダメなら縄跳びで!

しかし、それが変化したのは大学院生時代、海外に行くようになってからです。少しずつですが、他人と比べずに自分の成長を成功として感じられるようになりました。

「誰もやっていないことがしたい!」
「自分が心から楽しいと思えることがしたい!」

そう思って飛び出した海外。そこには自分が知らない世界がありました。

周りの人が跳び箱を8段跳んでいる中で、どうしても8段は跳べなかったけど、周りが誰もやっていない縄跳びにハマってしまった、そんなイメージでした。

そうなると比べる相手がいないので、自然と自分の成長を楽しめるようになっていくんですよね。

「自分の好きなことをするって楽しいな」
「自分の成長を感じられるって幸せだな」

他人と比べずに自分の道を進むことがやみつきになっていました。
そしていつの間にか、こんな風に思えるようになりました。

「自分の人生なのだから、自分が納得できるように生きよう。」

人と比較して、競争をするだけがすべてではないんです。シンプルなことですが、一度着いた癖を治すのは簡単ではないでしょう。
自分が自分らしくいられる場所を探してみると、ボクのように、人と比べる呪縛から解き放たれることができるかもしれません。

細かいことでも1つ1つ自分の成長を感じられたら、それって成功体験の積み重ねになりますよね。


ちなみに、最近の僕の成長は2つあります。

・毎日のように飲んでいたビールを、週末だけに我慢できるようになったこと
・早起きして英語の勉強をすることが3日間続いていること

このくらい小さなことでいいので、自分と向き合い、成功体験を積むこと。それが、自己肯定につながるのだと思います。


(つづく)

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