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子どもに聞く前に自分が話せているか

初めて食べた五右衛門のパスタが衝撃的だったって20年くらい覚えてるからここ10年くらい五右衛門には行けていません。
春日です。
♯だってあの衝撃が薄まってしまうきがして。

さて。
子どものことってやっぱり気になる。
無意味に学校どうだったとか、保育園楽しかったって聞いてませんでしょうか??
僕はここ最近子どもにゆう食事とかしてた。
もちろん話してくれる範囲で話してはくれる。

「楽しかったー。」とか「うん」とかそんな程度。

あれってなるわけです。
もっと具体的に聞きたいーとかなる。
そんでもっと掘り下げるけれどなかなか出てこない。

当たり前です。

楽しいこととか自分が伝えたいことって言いたいけど、そんなことばかりじゃない。

自分に置き換えるとわかるけど、ついついこんな質問ってしてません??
楽しいことばかりだったらそら良いんだけど、そういうわけではない。

良いこともあれば嫌なことだってある。
自分に置き換えると相当理解できるんだけど
他人だったり、子どもだと特にこんな質問を無意識レベルでかけてしまう。

無理やり聞かれてお話しますってほど安いエピソードじゃない。

そんなある日、いつものようにお風呂にみんなで入っている時の出来事。

ボクは自分の話をしました。
仕事のこと
寝坊して朝ご飯を少ししか食べられなくてイライラしたことなどなど

意外だったのは僕の話を一生懸命聞いてくれていたこと。

実際はもっと流されると思ったんです。
聞いてもらわなくてもいいやーくらいな感覚で話したんだけど
一生懸命聞いてくれて「お仕事で怒られなかった??」なんて心配もしてくれたわけです。

このこともめちゃくちゃ嬉しかったんだけど
驚くべきはこの後で
長女が「私もaちゃんと遊んでたんだけど、bちゃんが来てaちゃんと遊んでるんだって不機嫌になった。だからbちゃんと遊んだら今度はaちゃんが不機嫌になった。」と話し始めたんです。

続いて長男も「◯くんと◯ちゃんが前無視したんだよー」なんて話してくれる

僕は今までどうにか聞き出すことだけに焦点をおいていて
それは暴力に近いなあと感じたわけです。

話たいタイミングできっと誰でもある。
いくら関係性ができた間でも話したくないタイミングであれば話したくない

そもそも相談してくれるってめちゃくちゃ嬉しいと思うです。
それがわかっているけどなかなか自分からはできない。

でも自分が開示する(話す)ことによって自分も話しても良いって安心感が生まれるのは自然なことだなあって思うんです。

自分が話せていないのに相手の話を聞き出そうとしていませんか??
自分だったらって常に想像できるということは非常に大切なことだなあと
改めて感じるわけです。

ではまた。


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