お盆に思うこと

齢57にして未だ人生が落ち着くことがなく、来年自分がどこに住んでいるか想像がつかない私です(希望はハワイ)。

京都から鹿児島に戻ってきてそろそろ2ヶ月、総括ってほどじゃないけど関西生活の4年ちょっとは一体何だったのか?ということをぼちぼち考える。

「夢の中」のことを夢中と言うのならそれはまさに夢中の日々だった。

ほとんど「アクシデント」と言って良い京都移住決行から合同会社の立ち上げからの不動産屋と大家の裏切りによる計画破綻からのコワーキングスペース入会からの怒涛の毎日からの全世界的コロナ禍からの家庭の事情による強制終了。

要約するとこんな感じになる。

もちろん実際に起きたことは5行では語り尽くせない。

5年弱の間に何人の人と出会い友人になり別れただろうか。

やはり思い出されるのは人との繋がりのことだ。

特にお盆ということもあり、この5年で亡くなった人への思いを少しだけ掘り起こしたい。

名古屋の叔父さん。
嫁さんの叔父なのだが、実は僕は一度もお会いしていない。
優しくて性格が素晴らしいという噂だけを何度も聞いていたが、結局直接会うことなく亡くなってしまった。

一度だけ電話で話をしたが、声と話し方だけで噂通りの素晴らしい人だということを数十秒で理解した。

「せいかはあんな子ですが大切にしてやってください」と言い「はい!こちらこそよろしくお願いします!」という会話が最後になった。

会うことを楽しみにしていたが、叶わなかった。

鹿児島の叔母さん。
これも嫁さんの叔母さんだ。名古屋の叔父さんは父がたで鹿児島の叔母さんは母がたになる。

母がたは「叔母さん」父がたは「伯母さん」みたいな区別があったと思うが、ここでは略す。

「さっちゃん」とみんなから呼ばれていた明るい人だった。

子供の時に嫁さんはとてもお世話になったらしく、若い頃のさっちゃんの話は生前からよく聞いていた。

法事の時など親族が集まる席ではみんなを沸かせる明るい人で、すぐに踊り出すような印象がある。

とても元気だったのだけど、突然亡くなってしまった。

京都にいた僕たちは訃報を聞いてとても驚き、コロナの真っ盛りだったにも関わらず嫁さんは鹿児島までチケットを買い葬儀に参列しようとしたが、門前払いを食って会場に入ることができなかったが、夜みんなが帰った後に線香番をしていた親族に内緒で入れてもらいようやくお別れができたという。

うーちゃん。
お店を開くために京都に出てきた僕たちを待っていたのは大家と不動産屋がグルになった契約不履行だった。
思っていたようなお店を開くことができなかった僕たちは準備用の資金だけを持って途方に暮れていた。(このときの「途方に暮れる」というトラウマは今もうっすらと僕には残っている)

そんな京都に地盤もツテもコネもない僕たちは何とか仲間を見つけないといけないとコワーキングスペースに入会する。

もちろんそう言った会に入会するのは生まれて初めてのことだったし、割と高めの会費に見合った効果を期待できるのかは入会当時には完全に未知数だった。

そのオフィスのスタッフだったのがうーちゃんだ。

「絶対に若い」とは思ったが異様に貫禄のあるいわゆるビール腹な体型と、話す前から「頭が良いですよオーラ」が漏れているのが印象的な人だった。

ビジネス相談などで数回話しただけというのが実際のところだけど、彼は常にオフィス内にいたので、親密度密接度は高かったという印象だった。

貫禄のある体型だった彼がある時を境にみるみる痩せ始めた。

誰からともなく「癌じゃない?笑」などという冗談を言い出したりしたが、僕くらいの年齢だとそう言った洒落にならないシャレは口が裂けても言わないし、言う人の品性を疑うが、若い頃は平気で言っていたのかもしれませんね。反省。

それが彼の口から出たのが「ガンやねん」と言う返答だったからさあ大変。

はじめはきつい冗談に対するより上をいく冗談なのでは?と思ったが、そうではなくて本当に癌だった。しかも割とステージが上の方の。

あれよあれよという間に彼も亡くなってしまった。

人は呆気なく死んでしまう。

ゆっきー。
うーちゃんと同じくコワーキングスペースで知り合った美容師さん。

コワーキングスペースの代表が昔から髪を切りに行っていた美容室の社長で、オフィスをオープンするので入会してくれと言われ入った(ゆっきー談)というお付き合い入会組で、美容室も繁盛しているしオフィスに顔を出すことは滅多になかった。

しかし、何かイベントがあるとヘアメイクのスタッフとしてオフィスに来たりしているのを見かける程度だった。

スキンヘッドに割と細々と身体中に散らばるタトゥーが入っていたりと、普通はとっつきにくいタイプの雰囲気を纏った人だが、僕はとても興味があってここぞと話しかけたのがファーストコンタクトだった。

「今度店に遊びにこーへん?」

そう言われ店の場所を聞くと京都の自宅から歩いて行ける距離に彼の店はあった。

店に遊びにいくと、何というか内装の雰囲気が彼のキャラクターと合っていない。

非常にフェミニンな雰囲気なのだ。

しかしマーケテイングは重要だ。彼のキャラクター通りの店舗では客筋が変わってしまうし、今の雰囲気を好きな客は現状メインなのだろうと思った。そういうことはよくある。

しかし、ひょんな話から「チャリーモ、今度内装デザインを変えるんやけど、デザインやってくれへん?」とゆっきーが言い出したのだ。

「え?良いけど、このままだと何がいけないの?綺麗だし、良い感じじゃん」と私。

「チャリーモ、本気でそう思うてる?」とゆっきー。

「いや正直ゆっきーっぽいとは思わなかったけど・・・」以下上記のような説明をした。

「せやねんけどな、俺もいつまでも店やってんの嫌やねん。嫌々やんのも嫌やから、せめて自分がいて楽しい空間にしとうてな」

もちろんとても理解できる。しかし、それによって起こる客離れのリスクなども説明すると

「それもわかるねん。わかるねんけどな、もうえーねん。楽しくやりたいねん」

内装デザインの変更のためにゆっきーのお店は何日休業しただろう?

とにかく予定日ギリギリまで作業をして何とか納品した。

その後僕は奈良に半移住してしまったため、ゆっきーとは疎遠になり、インスタグラム上で夜の街を徘徊する彼の姿を見るのとたまに彼からかかってくる不穏な内容の電話とが彼を僕とを繋ぐものになった。

そんな日は一年続いたか続かなかったくらいだろう。

コワーキングスペースの代表からゆっきーが自死したということを聞き僕はだいぶ落ち込んだ。

僕は彼にベストを尽くしただろうか?

彼のヘルプサインを察知してアドバイスできなかったのか?

彼の店のあった周辺を通るたびに彼のことを思い出す。



「人間は2度死ぬ」って言いますね。

「一度目の死は心臓が止まる時。二度目の死はその人のことを覚えている人が一人もいなくなる時」

とても恐ろしい言葉のようにも聞こえますが、結局忘れられるんです。そして記憶に残すために生きているわけでもない。

でも、せめて覚えている人のことは語っておきたくなったんです。

人は簡単に死んじゃいますからね。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?