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Chara「命のまつり」その30~つづく別れ、それでも毎日精神科看護師である自分

妹が旅立った後、淡々と仕事をしながら日々を過ごしていた。
できるだけ感じないように、できるだけ気持ちを動かさないように、
エネルギーが小さくなっていた自分を守るすべだったと思う。
この頃、たばこの本数が妙に増えていった。

そして、しばらくして義父が突然亡くなった。
もともと精神科に通院していたのだけど、昼寝をすると言って
よく睡眠薬を飲んで朦朧とした足取りでベッドに行く姿を見ていた。
お昼寝から起きてこない義父を義母がみつけたのだった。

私の勤め先の病院に救急搬送され、私も呼ばれた。
すぐに死亡が確認された。突然死だった。
夕方の時間で当直の看護師は忙しく、他の患者さんの対応をしていた。
私は一人で義父のエンゼルケアをした。
突然のことで驚きはあったが、泣いている義母や夫の家族の姿を
黙って見つめていた。

夫の家族はみなプロテスタントだった。
義父の葬儀は教会の信者の方の協力のもと執り行われた。
パイプオルガンと讃美歌に送られて義父は旅立った。

その後・・・、
少しずつ夫や夫の家族と心の距離が離れていっていた。
精神科の仕事は変わらず淡々とやっていた。
その頃、看護師の私に話をしにくる患者さんは、少しトーンが低かったり、抑うつ状態だったりする人が多かったように思う。
エネルギーの低さが同調していたのかもしれない。
つづく・・・・。


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