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Chara「命のまつり」その14~高校時代③

私たちの住む町は水に浸かった。
幸いにも私の家は水に浸からなかった。裏山の土砂崩れの被害もほとんどなかったが、停電や断水が続きサバイバル生活が始まった。

井戸もあったが、水が濁り飲める状態ではなかった。
この井戸は父と叔父が自分たちで掘った井戸で、手押しポンプとモーターの両方がついていた。
今は井戸は使ってないが、めまぐるしく変化する世の中で井戸を復活させようと真剣に考えている。

翌日から、自衛隊の給水車が来てくれた。バケツやポリタンクを持ってならんだ。水くみは私の役割だった。

停電もあった。漁師ゆえに漁に使うカンテラを照らすための小型発電機があり、それでご飯を炊いた。

お風呂の水は、少々濁っていてもいいといことになり、近所と共有しているもう1つの井戸からつるべでくみ上げ風呂に運んだ。これは私と妹の役目。

そして、お風呂は近所の親戚の家の五右衛門風呂。まきをくべて沸かすのも私の役目だった。ロウソクを灯りにしながら妹とお風呂に入った。

しばらくして、浸水被害のひどかった地域の清掃ボランティアに行った。
自転車を8㎞こいで高校のドロよけ作業、友達の家の片づけも手伝った。町は本当にドロドロで独特の臭いがした。暑い日差しで乾くとドロが舞い上がり町がかすんでいる感じだった。
自衛隊の人達がもくもくと作業をしていた。ありがたかった。
夫はこの時、自分の家の2階まで浸水しほとんどのものを失った。

作業中は炊き出しがあり、おにぎりをもらって昼ご飯にした。
おにぎりはシンプルな塩むすびだったけど、とっても美味しかった。

その後、学校が再開した時、同級生のお父さんが土砂崩れで亡くなったことを知った。
地元の人から胸の痛む話も聞いた。土砂崩れの危険があり非難したのに、家族の制止を振り切って亡くなった旦那さんの位牌を家に取りに戻った奥さんが生き埋めになったのだと・・・・。

この時、人の命ってなんてあっけないんだろう・・・
まさか突然死ぬなんて・・・
そう感じる体験だった。
それでも、私たち家族や友達は少しでも力を合わせて前に進もうとしていた。それは、体の内からくる命のエネルギーに動かされていたように思う。

この夏、水害にあわれた人々の心の平安と心身の健やかさを願います。

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