見出し画像

Chara「命のまつり」その26~精神科病棟ので日々、良く生きようとしている・・・

精神科病棟での思い出

ある60代の男性患者さんとの関りから感じたこと
その患者さんは、統合失調症で20代のころから入退院を繰り返していた。
就職後、しばらくして私が受け持ちとなった。

看護師として患者さんの話に耳を傾ける・・・・、患者さんの話に傾聴する
訴えに共感する・・・・
言葉では簡単に言えるものの当時の私には精神の病を持つ患者さんのすぐ傍にいて、非現実的な妄想と現実の混在した話をどう受け止めていいのか、
何て返事をすればいいのか・・・正直わからなかった。

ただ、うん、うんとうなずきながら黙って聴いていた。
それでもよかったことがあった。
それは、たばこ。私も当時はたばこを吸っていた。
精神科病棟の喫煙所はなくてはならない安全基地のようなもの

喫煙所で患者さんと同じ空間でたばこを吸っているうちに
心の距離が少しずつ近づいて行ったような気がする
そして、この人は害になることをしない人だと患者さんに感じてもらえたような、そんな気がする。

ちょっと前からNVC(非暴力コミュニケーション)を学んでいる。
共感の本当の意味を知り、今まで私が共感と言っていたことは
あまりにも表面的で浅い関りだったと感じた
共感、感情の奥にある大切なニーズにつながること
当時の私が少しでもNVCについて知っていたら・・・・患者さんともっと違う関りができたかもしれないと思ったりする。

ある日、60代の受け持ち患者さんが同室者とのトラブルで興奮しナースステーションに怒鳴ってきた。暗黙の了解で受け持ち看護師が相手をする雰囲気があった。
実はこの患者さんは病棟でも対応困難で一目おかれた存在だった。
始めは何もわからなかった私もだんだんわかってきて、内心こころの中で
「もう勘弁してほしい」「なんで私が怒鳴られるの」「いい加減にしてほしい」と思うようになっていた。
帰宅後も病棟で怒鳴られたことが頭の中をぐるぐるして眠りにく夜もあった。

ある時、その患者さんの担当医に「どうしたらいいんですか」とぼやいた。
医師は、私の大変さをわかってくれた上でこんな感じのことを言った。

感情が麻痺して、1日中部屋の隅で座って独語を言ったり、幻聴と会話して
自分の世界で生きている人もいる
怒鳴ったり、怒ったり、感情を表現するのは人が生きていたらあたりまえにあることだと思う。病気かもしれないけど、その人なりに良く生きようとしているんじゃないかな・・・・

良く生きようとしている・・・・、それなのに私は静かにしてほしい、だまってほしい、そんな考えを持っていたことを恥ずかしく思った。

それから、少しずつ看護師としての向き合い方が変わっていった。


この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?