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夫婦だって、元は他人です。

最近サボりがちのnote。

書き溜めていたものもあったのですが、全部消しました。

というのも、近々帰国することになりそうで、気持ちが日本に向いてしまったから。

コロナ禍に渡米してから、一年も経ちません。

まだこっちで何もしてないのに。コロナが治まったらやりたいこといっぱいあったのに。

気持ちの整理には、ずいぶん時間がかかりました。

夫が帰国したがっていたのはだいぶ前からですが、本格的に帰ると言い出したのは年が明けてすぐ頃だったかな。渡米以降ほとんど出社もできず、予定していた仕事もかなりの制限を受けて思ったように動けず、確かに厳しい状況。とはいえ年末のホリデーシーズン頃からは落ち着いていたので、私もEAD(労働許可)の申請をしたり仕事を検索し始めたり、やっとアメリカ生活も軌道に乗るかなと油断していたところでした。

まず始まったのが、転職活動。

社外のことを知れば知るほど知的好奇心が刺激されたのか、新しい世界への希望がどんどん膨らみ、転職でも独立でも形はどうあれ、なるはやで辞めて日本へ帰るという方向に突き進み始める夫。パンデミックをきっかけに急激に変化する社会に、乗り遅れてなるものかっ!のような暑苦しい状態に。

え、ちょっと待って待って。

私はアメリカでの生活に気持ちが寄ってしまっていたので、全く事態についていけませんでした。

当の夫も、まだ自分の中で方針が固まりきっていない部分があるようで、言うことがコロコロ変わる。しかもあくまで相談ではなく、「あぁする」「こうする」「あれするかも」のような、なんともフワフワとした報告がポロポロと出てくる。

ちなみに夫の普段の様子は、特に仕事のミーティング前後はピリピリしていたり、ため息ばっかりついて相変わらずの鬱々モードも継続中。

このままアップダウン激しく脈絡もない夫の発言に真っ正面から向き合っていくのは、無理だ…。

そう思ってしまった私は、夫とのコミュニケーションを遮断、まともに会話をせずに淡々と家事をこなして引きこもる暴挙に出たのです。

その頃の食卓は、もはやお通夜…。

なんでこんなに振り回されないといけないんだ。私の人生をなんだと思ってるんだ。休職から一年も経たず同じ職場に戻るなんて、この数ヶ月、私のキャリア的にただただ無駄にしたようなものじゃないか。

つーか、もっと踏ん張れよ!

心の中は、夫への恨みが溢れてドロドロでした。

夫がコロナ禍の駐在で本当にしんどかったのは理解しているし、その過程で学んだこと・感じたことを踏まえて次のステップに進みたいというのは、わかる。だからなんとか堪えていたものの、暴言を吐かないように、黙っているのがやっと。うっかりすると離婚を切り出しそうなほど、憎しみが募っていきました。

そうこうしているうちに、ついに夫は職場にも離職を相談。

以降、新たなステップにいろんな想像を膨らませて、明るい未来に心を躍らせる夫。言うなれば退職ハイのようなおかしなテンションで、私の様子などお構いなしに話しかけてきます。

奇しくもコロナで強制的にリモートワークが浸透してきた昨今。この駐在中に、どこにいても仕事はできると実感した夫は、ついには帰国したら田舎に住もうとまで言い出しました。彼の頭に、帰国後、元の職場へ復帰することになる私への配慮は1ミリもありません。

いや田舎でもどこでも一人で行けや。仕事再開してまであんたの面倒みきれん。

喉まで出かかり、なんとか飲み込みます。絞り出した言葉は「もう、好きにして…」。

この頃、夫婦関係は危機的状況だったと思います。少なくとも私の中では…。

「君も好きなことすればいいじゃない。」

そう言われたときの絶望感。

あぁ。この男は、人の立場に立って想像すること、相手の気持ちを慮ることができないんだ。自分の価値観で、向上心を持って好きなことを仕事にして生きていくことが究極の自己実現であり、私にとってもベストな人生だと信じて疑っていない。

そして、書類上の妻ではあっても、この人にとっては私は「家族」ではないんだ。

「家族」として、みんなが幸せになるためにはどうすべきなのか。家族の中の「夫」あるいは「妻」として、個人の希望と家庭の平和をどうバランスをとっていくのか。そういうことを考える・話し合う必要があるということすら、思い至らない。とことん、個人主義。そういう人だ。

思えば日本にいた頃、お互い一心不乱に働いていたあの頃は、たしかに完全に独立した対等な関係が成り立っていて、それぞれ好きなことを好きなようにしても、特に大きな問題にはなりませんでした。

しかし渡米後、アメリカでの立場が夫のステータスに左右されるようになった私には、コロナの影響も大きく、今までのように「私は私」で何かができるわけでもなく(もちろん精力的に自分で何かを始める駐妻さんもたくさんおられますが)、むしろ慣れない海外生活で大変であろう夫を内から支えるべく、生活を整えることが目下の最優先事項でした。

そんな私の状況・心情を置き去りにして、好きなことをすればなどと、どの口が言うのか。

一人で大泣きしました。普段飲まないお酒を煽りながら(笑)

実は私がアメリカでしたかったこと、一番は不妊治療でした。

なんだかんだ、仕事が割と好きな私にとって、今休職しているこのタイミングが、不妊治療の絶好の機会だったのです。

コロナがおさまって、夫もアメリカ生活に慣れて余裕ができてきた頃に、相談しようと思っていたのに。そんな間も無く、もう帰国…。

ちゃんと話さないと前に進めない。働いていない私のことがどうもしっくりきていない様子の夫に、なぜ今私が専業主婦をしているのか、アメリカで何がしたかったのか、たとえ理解してもらえなくても、一通り伝えないと、私が前に進めない。

そう腹を括ったのは、もう年明けから数ヶ月経った頃でした。

子供が欲しいこと、ちゃんと家族になりたいこと、専業主婦をしている私に対して物足りなさを感じる(働かないの?何かしないの?などの発言や、食事中にスマホやPCを触る失礼な態度も含め)言動が悲しいこと、私にも考えていることがあったのでいきなり帰国、さらには田舎暮らしと言われてもすぐには考え難いこと、帰国したら私は復職になるのに、夫はもし無職になっても家事をしないことが想像に難くないのが不安なこと、そんなに自分の幸せだけを追い求めたいなら一人でやってほしいこと、などなどを、夫に伝えました。

冷静に話したかったけれど、涙は止まりませんでした。

いったいどれだけ私の気持ちが伝わったのかは、全くわかりません。人間、価値観は簡単には変わらないですし。

きっと私たちは、結婚してからこれまで特に何も示し合わせずとも、割と問題なく並走できてしまっていました。おそらくお互い、似た環境にいたから。

今回、海外赴任という片方の事情で二人の環境がガラッと変わり、それまでの延長では、やっていけなくなってしまいました。状況が変わり考えが変わるのは当たり前のこと。環境が変わったタイミングで、改めてちゃんと二人で方向性の摺り合わせをしないといけなかったと思います。

幸い、かなり大事・大揉めにはなりましたが、ある意味時間が解決したというか、夫は退職の決意で踏ん切りがつき駐在のプレッシャーから徐々に解放されたようで、私の不安や不満の言葉をある程度(理解しているかは別として)落ち着いて聞き、相談というスタンスを見せてくれるようになりました。私は私で、言いたいことはだいたい伝えたし、それまでのため息ばかりの辛気臭い夫に引きずられていたネガティブマインドも、夫の回復に合わせて多少改善したので、もうあとは全てコロナのせいと諦めがつき、徐々に、帰国へ向け頭を切り替えていきました。

不妊治療も、お互い無理のない範囲で帰国後からでもやってみようかということになりましたし、田舎暮らしもひとまず保留(住まい探しは慎重に)ということに落ち着きました。

今やっと、なんとか向き合って、帰国に向けて二人で進み始めています。

冷静になって考えると、夫への不満ばかりを募らせていた私も、夫が一番辛かったであろう時に寄り添えていなかった。夫からしてみると、アメリカで最も身近な味方であるはずの妻が、一番の敵に見えていたかもしれません。そして被害者意識から、やっかいな「察してちゃん」になっていた部分があったかもしれません。大いに反省しています。

それまでの、ある意味ツーカー(死語?)の楽ちんな関係性に、二人ともがあぐらをかいてしまった結果の状態だったと思います。

夫婦といえど、元は他人の二人。努力なしに家族になれるわけはなかった。

なんらか環境が変わった場合、あるいは特に変わっていなくても、月1くらいで「最近どう?」と、夫婦で向き合って会話する時間を意識的に持つ。帰国してまた新たな生活が始まるにあたり、また同じようにすれ違ってしまわないように、実践していきたいと思います。

帰国がいつになるかまだ確定していませんが、私の短いアメリカ駐妻生活は、こうして「ステイホーム」一色で幕を閉じることになりそうです。

編み物という暇つぶしに最適の趣味が、唯一の収穫かな?

いつか機会があったら、パンデミック後にアメリカの地に戻ってきて、真のLAライフを、夫と一緒にリベンジ体験できるといいなと思います。

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