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年賀状は僕にとって「誕生日おめでとう」と同じだった

皆さんは年賀状を何枚書いているだろうか。いや、そもそも書いてすらいないという人の方が多いかもしれない。

郵便局は躍起になって売ろうとしているが、発行枚数は年々減っている。そんな中、僕は毎年7枚だけ年賀状を書き続けている。宛先は6年間毎年変わった小学校の担任の先生と、中学校3年生の時の担任の先生だ。

こんなに書いているのも、実家が書く家だったことが大きい。今どき珍しい話かもしれないが、父も母も100枚以上年賀状を毎年書いていて、家にいる時間の長かった母とは年末になるとストーブの効いた暖かいリビングで一緒に机を並べて書いていた。父は、忙しいことに加え後回しにしがちなタイプ(しっかりと遺伝していると感じる)のため、唯一確実に休みになる元日の朝から書いていたことも懐かしい。

昨年は、結婚したことを年賀状に添えていたため、それを読んだ小学校6年生の時の担任の先生からお祝いをいただいた。素敵な食器のセットだった。御礼も兼ねて電話をすると、当時とまったく変わらない声で、結婚することを喜んでくれ、今年定年を迎えることを教えてくれた。

余談だが、この先生は国語の授業がとにかくうまく、よく作文を書かせてくれる先生で、たくさん褒めてもらった。修学旅行で長崎に行き、原爆について学習した内容を作文に書いたときは、相当出来が良かったのか、わざわざ母親にも絶賛の言葉をいただいたことを覚えている。今でも僕が文章を書くのが好きなのは、間違いなくこの先生のおかげだ。

昨年こそ、こうしたやりとりが発生したが、他の先生と年賀状以外で話したことはない。これでいいのだ。1年に1回近況報告ができれば。そして、最近はこの役割を誕生日を祝うことで果たしているのでは、と思う。別に年賀状を出してるからえらい、とかではなく、形はなんだっていい。もし余裕があれば、僕が誕生日を祝う理由を書いた文章も読んで見てほしい。

https://note.com/chapterofbooks/n/nb04546f313ba

一番長くやり取りをしていることになる小学校1年生の時の担任の先生とは、もう22年の付き合いになる。当時は新卒3年目の先生だったから、25歳前後のはずで、今思うとすでに当時の先生の歳は優に越していて、月日の流れを感じる。1年で異動することになり、泣きながら退任式に持っていく手紙を書いた。

22回もやり取りをしていると、当たり前だが人生の駒が進んでいく様を見ることになる。同じく先生を職業にされている方と結婚され、3人のかわいい女の子が生まれ。同じように先生も、中学高校大学と進学し、就職し、同時にちょっとずつ肉を蓄えていく僕を見て苦笑いしているかもしれない。

もしかしたら、先生たちの中には、「もう今どき年賀状なんて書いてないよ。こいついつまでも送ってくるやんけ。どっかでやめたろ」と思っている先生もいるのかもしれない。でも、今のところ毎年出した枚数だけ手元にも年賀状が残り、返してもらえているうちは出し続けたいなあと思う。

年賀状を書くたびに思うのだ。この人たちに育てられた人間として、胸を張れる人生を送りたいし、先生たちに「この子私の教え子なんだよね」と自慢してもらえる人間でありたいと。

偉そうなことを書いてしまったが、まだ今年の年賀状は書き始めてもいない。

「先生、ごめんなさい。元旦に届くようには、出せなさそうです」

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