見出し画像

ココロアラシ

前の職場の話をあまり振られなくて、
脳みそのプレイリストから前職の嘆きは
消えていたはずなんだけど、
あまり話したことのない役職おじさんに
根掘り葉掘り聞かれ、
学歴があるのにそんな仕事だったの!?とか
故郷に帰る選択肢もあるよね、
親御さんも心配でしょとか、
私の地雷コンプするんじゃないのこの人
って思うくらいズタボロにされた。
ちょうど短い移動時間で辺りも暗かったから、
私が泣きそうになってる様子はバレなかったと思うけど
大学に行ったからって
それが自慢のステータスになるとは限らないし、
そんな仕事って言うけどアンタは
必ずお世話になってる仕事だし、
今の職場より楽しかったし人徳ある人も沢山いたよ、
故郷なんてないし、
親なんて私のことはもうパートナーに任せて
脳から飛んでるし、
私が何の仕事してるか知らないんだよって
喚きそうになった。
どんなに整地して生きようとも
必ず掘り起こしてくるニンゲンはいる。
その度私は勝手に傷ついて
二度とうつくしく生きられないと決めつけられる。
早く死んで終わりにしたい。
そう思って少し書いていたnoteの記事を消した。
表面をどんなに健やかに均しても
私の中身は荒地のまま。
私は可愛くなんて生きられない。
ていねいなくらしも手に入らない。
すでに壊れているのだから。何もかも。
同時にそれでもいいんじゃないのと
言ってくれる自分もいる。
自分が自分である理由なんて
自分がなぜ今このカタチをしているかなんて
自分だけが知り納得できていればいい。
私が夜にサングラスをする理由なんて、
通りすがりのサラリーマンに
わかってもらおうだなんて思わないはず。
SNS見てたら相互理解ばかり溢れて
自分を受け入れてもらわないとって気持ちになる。
これだけ人がいるのだから、
私の居場所があるはずなのだと信じたくなる。
私の居場所はすでにあることを
私の心は知っている。
それはもう自分を赦す理由には十分なのだ。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?