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目黒不動尊。海のむこうからやってきた神様

目黒不動尊の境内の一角にある小さな池。

よく見ると、かわいらしい石像が浮いて?います。

一寸法師でしょうか。

この池を左に見ながら、その奥にある三福堂、豊川稲荷、伏見稲荷がまとまっている一角へと向かいます。
入り口の石柱には、鯛を抱えてほほ笑む恵比須様が参拝客を見守っています。

そして三福堂の祠にも、にこやかな恵比寿様が座っています。

そういえば、と思い出したのが、少彦名命スクナヒコナノミコトという神様。古事記での登場シーンが、短いのですがとても印象的で、気になっていた神様です。


大国主命が御大の御崎にいるときに、ガガイモの殻に乗った神様が海のむこうからやってきました。
大国主命が名前を問うても答えないため、自分に従っている神たちに尋ねてみましたが、やはり知る者はいませんでした。
このとき多邇具久(ひきがえる)が
「久延毘古(かかし)が知っているはずです」
と進言します。そして久延毘古は、
「神産巣火神(カミムスビノカミ)の子で、名を少名彦神といいます」
と答えます。
神産巣火神は
「私の手指の間から漏れこぼれ落ちた子です」
といい、少名彦神に、大国主命と義兄弟になって一緒に国づくりをするように命じます。
二柱の神様は共に国造りを行いますが、その大業を終えないうちに、少名彦神は常世の国に行ってしまいます。


少彦名命は、天地開闢の時に、最初に生まれたとされる三柱の神の一柱である神産巣火神の子供です。そんな由緒正しい生まれでありながら、手指からこぼれ落ちるほど小さく、自らも名乗らず、久延毘古以外、その存在を知りません。

この不思議な神様の由緒には諸説があり、その中に、イザナギ、イザナミから生まれ、葦舟で流された蛭子神に由来する説があります。

また、七福神の恵比寿様と同一視する説もあります。
恵比寿様は、来訪神、漂着神的な性格の強い神様で、海中で拾ったり、浜辺に漂着した石や漂着物をエビスとした漁民信仰が民間に広まったものと考えられています。恵比寿様と少彦名命は、ともに海の彼方から漂着してきていることから、同一視されるようになったそうです。

少彦名命の小さな姿は、一寸法師のモデルになったとも言われます。

恵比寿様と一寸法師。目黒不動尊の像からは、同一の神様には見えませんが、由緒も書かれず、さりげなく置かれて(浮いて)いる像に、少彦名命を介したつながりが見えたような気がしました。

異国の雰囲気が漂う少彦名命。
そして釣りが上手で、鯛を抱えてほほ笑む恵比須様。
魅力的な神様たちです。

おまけ

恵比寿様つながりで、新潟県柏崎市に伝わる郷土芸能、綾子舞の演目のひとつ、恵比寿舞をご紹介します。
恵比寿舞は、太郎、次郎のニ柱の恵比寿がめでたくも沖で姫子鯛を釣り上げた、という囃子舞で、舞の後半に、鯛を釣り上げる躍動感あふれる動作が織り込まれています。
下記のサイトに動画がアップされていましたので、どうぞお楽しみください。

目黒不動尊の記事をマガジンにまとめました。



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