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誰にも何も期待していない

私は「他人に期待をしない」という事をひとつの生きる上でのスタンスにしている。

何だか言葉だけ聞くと冷たい人のように感じられる。

実際に冷たいのかもしれないけれど、でも、それもちゃんと理由がある。


「他人に期待をする」という事は、その期待に沿う行動を取らなかった人に対して「思っていたのと違う!」と、ものすごく自分勝手な批判的な感情が沸き起こるからだ。

そんなの人からしたら「いや、知らんがな」となる。

勝手に期待して、勝手に裏切られた気持ちになって、勝手に批判するというサイクルに入る気がして……というか、そんなサイクルに陥っていた時期が過去にはあったのかもしれない。もう覚えてはいない程、遠い昔なんだけれど。


そして、他人に期待しないと、何でもかんでも嬉しく感じる。

他人はどこまで行っても他人で、自分の為に何かをしてくれることは絶対にあり得ない、とか思っていたら、予想外に自分の利益になるような事があったらとても嬉しく感じてしまう。

どんな些細なことでもだ。


また、期待が強いと「わかってくれているはず」という意味の分からない考え方が強くなる時がある。

100%の確率で思い違いなのに、どうして勘違いしてしまうのかわからんけれど、何故か思ってしまう。

人間は何処まで行っても他人なのだ。


どうしてこんな考え方なのだろうか……と思い返していたら、思い当たる節がひつとだけあった。

それは、旧劇場版の「新世紀エヴァンゲリオン」に影響されている気がする。

思春期はエヴァンゲリオンを繰り返し読み、謎解き本を何度も読み返す程、研究熱心だった。今はもうかなり離れているのでほぼほぼ覚えていないのですが。

研究していない理由として、私はアンチ新劇場版ヱヴァンゲリオン派閥(勝手に作った)の人間なので、最近の劇場版は全くの未履修です。

アンチの理由は「シンジが逃げ出した後、ケンスケと一夜を過ごす」という描写がなかったから、という理由。

「そんなんで?」と思う方もいるかと思いますが、

私にとってはあのシーンがあって、トウジとも仲良くなっていかないと意味がわからんでしょー!

それがあるから、バルディエルに寄生されてシンジが戦わなくてはならない描写が辛さが倍増するんでしょー!!

ヤシマ作戦にあんなに時間を使わなかったら、カットされることなかったんじゃないかなぁー!!!

とヤキモキしながら序を観てしまったので、同じザワザワした気持ちになりたくないので、遠ざけている所です。


……関係のない話題に熱くなり過ぎましたね。話を戻します。


その旧劇場版の中で人類補完計画が発動します。

そして、人々は液状化してLCLになっていきます。

人はそれぞれに個体であるから、分かり合えない悲しみや怒りに襲われるし、嬉しさや楽しさも全て分かち合えない。

どんなにシンクロ率を高めても100%はあり得ない。

だから、1%でも齟齬が生まれる。

その齟齬が弊害を生み、分かち合えないことで感情が搔き乱される。

プラス面もマイナス面も悪影響を及ぼす。

だから、人類を「ひとつの個体」にしてしまい、全員が同じ感情をわかちあえるようにしましょう!そしたらハッピー!

みたいな感じです。超絶にざっくりしていますが。


その学びがあるから、私は「他人に期待しない」という生き方を選択するのです。

一応、かなり前向きに選択しているつもりですけれどもね。

最後までお付き合いただきまして誠にありがとうございます。 「サポート」も嬉しいですが「スキ」も嬉しいです。 思ったり感じたりしたことがあれば、是非「コメント」もしていってくださいね。 本当にありがとうございました。