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「プレイバックシアター」を体験した話

今更ながら明けましておめでとうございます。
今年もよろしくお願いいたします。

年末に「note更新しなきゃなー」とか思っていたはずなのに、気がついたら1月が終わりかけています。

忙しかったから仕方ない。具体的には、

「映像研に手を出すな」のアニメを一気見したり。
「イニシャルD」のアニメを一気見したり。
「江戸川乱歩異人館」の漫画を一気見したり。

アニメと漫画を漁り、時々、真面目に読書したり。

っても読破したのはジョージ・ウォーウェルの「動物農場」位なもので。
後は途中まで読んだ積読本が増えていく一方です。
Kindleの中にも増えていく一方でどうしたものか……。

あとはお久しぶりの人たちと話をする機会ができて、色んな学びや発見があったりもしましたが。

まぁ、基本的には怠惰な年末年始を過ごしておりました、という報告はどうでもいいです。

今日は「プレイバックシアター」を実際に体験したので記事に残そうと思い、久しぶりにnoteを開いたわけです。

私が初めて「プレイバックシアター」という言葉を聞いたのは何年前だったか覚えていません。
でも、その時に興味を持って色々と調べたことは覚えています。
自分の人生の中で培ってきた「福祉」「演劇」が重なる予感をビシビシと感じたから。

しかし、調べれば調べる程、全くイメージができなかった。

当事者が語った事を演劇にする?
どうやって聞き出して話を広げるの?
日本で馴染むの?
そもそも何を目的にしているの?
この手法をとる意味はあるの?

ネットの記事だけではなく、本を読んで調べたりもした記憶がある。
でも、それでも、やっぱりちゃんとしたイメージが持てなかった。

だから「こんな方法があるんだなー」「機会があったら体験してみよー」と軽い感じで蓋をして脳の片隅に仕舞い込んでいた。

そして時は流れ……

丸亀市さんから案内のお手紙をいただいた事により、脳みその片隅に仕舞い込んでいた記憶の蓋が再び開かれる事になりました。

改めて「プレイバックシアターとは何ぞや?」と思い調べてみる事にしました。

プレイバックシアターは、観客や参加者が自分の体験したできごとを語り、それをその場ですぐに即興劇として演じる(プレイバックする)独創的な即興演劇。

なるほど。「回想法」的なものなのかな?と思ったのが最初の感想。
数年前までの自分だったら「即興劇」という言葉にアレルギー反応を示して逃げ出していたかもしれませんが、時々、訓練していたかいもあってハードルを乗り越える事ができました。なんでもやってみるもんだね。

芸術的な側面を持つ一方で、その場で演じるもの(アクター)、語るもの(テラー)、観るもの(観客)が、共感や知恵、勇気や癒しをもたらせることになる。そのため、劇場の場はもちろん、ワークショップや教育の場、臨床や治療現場など広く活用されている。

ここからがイメージできなかった部分。
観客からお題を貰って即興劇を行う、というシーンは割とスタンダードな気がする。即興劇を見に行った時にはよく見られる光景だ。
即興劇がワークショップや教育現場に使用されることに関してはなんとなくイメージができる。

でも、それが臨床や治療現場になった瞬間に霧の中に迷い込むような感覚に陥る。

昔、同僚が行っていたSST(ソーシャルスキル・トレーニング)を見た時に、その時の記憶を追体験して、実際にその場面でどのように行動するかを話し合って演じていた事を思い出す。
でも、それはあくまで「トレーニング」での手法である。

過去の体験や記憶を呼び起こしたり、調べたりしても、どうしても「治療」とか「癒し」とかに繋がらなかった。

私の脳内メモリーをどれだけひっくり返して漁っても、書物から新しい知識を入れても進展しない。
ないなら体験するしかない!という事で一念発起して参加する事にしました!導入までが長い!!

最初にワークショップ形式でプレイバックシアターを体験しました。
この時に「なるほど!」と思いました。

3人1組になって「アクター」「テラー」「観客」と役割分担をして、テラーが語る言葉を、まるで絵本を読んでいるようにアクターが話す、というだけ。

私も働いている時は専門職として「相手の言葉を繰り返したり、気持ちを言語化して伝える」という手法を取ることは多々ある。無意識でもできる位には日常的に意識している。
だから、最初に説明を聞いた時には「一緒だな」と思っていました。

でも、これが全く違っていた。特にテラーになった時に強く感じた。

この時、語った物語は特に感動的なものでもないし、なんなら「いきなり自分のヘビーな部分を曝け出すのはちょっと……」と思って日和って逃げて軽めなものを選択した。

でも、それをアクターの方が話してくれているのを聞いていると、その時に「辛い」と感じた子どもの時の私がひょっこりと出てきてちょっとウルッとした。

自分の中では「大した事ない」と思っていたけれど、何気に大事件だったという事を数十年経って知ってしまった。
別にそれを知ったからといって「あの時は辛かったんだ!」と相手を攻撃したり、自分の感情を増幅させたりするわけではない。

私の身体の中から抜け出た思い出が、アクターの身体を通すことによって、目の前に表出された。

それによって癒されている自分が存在していた。

個人的な性格として、私は他人に助けや癒しを基本的には求めない。
それは恥ずかしさもあるのだが「自分と他人は違う人間であり期待するべきではない」というような感情もある。
だから「安易に癒されてたまるか!」みたいな変な意地もあったりする。

でも、目の前に表出されたモノは他人の身体を通してはいるものの、あの時の自分そのものだ。
そんな過去の自分を見ながら「あぁ、実はそんな風に思っていたんだね」と自分で自分を第三者的な視点で再定義?再解釈?している。

客観視することは自己啓発的な意味合いが強いと思っていたけれど、こんな風にも使えるのかと目から鱗な体験だった。

その次は劇団プレイバックシアターの方々が実際にテラーからお話を聞き取って、アクターとして舞台にあげるところを見せてもらう。

もちろん、自分がテラーの時に感じていたような感情はないけれど、話の中から様々な発見を自分で勝手にしていることに気がついた。

それはテラーの方々の感情に寄り添う事ばかりではなく、相手方の感情に寄り添ってみたり、その状況見て「自分だったらどうするか」と解釈したり。

他人の物語から色んな教訓を得る事ができる。その中に嘘がないから尚更に。


演劇が自己を客観視して回復するような手法によく使われている事は知っていた。

けれど、それが「具体的にどのような手法で」というのは興味があったけれど、この日まで明確に知る事はなかった。

それが、半日で知る事ができたのは大きな経験になった。

体験に勝る学びなし、とはこの事だなとしみじみと感じた。


また、機会があれば自分が演じるところまで到達してみたいと思う。

最後までお付き合いただきまして誠にありがとうございます。 「サポート」も嬉しいですが「スキ」も嬉しいです。 思ったり感じたりしたことがあれば、是非「コメント」もしていってくださいね。 本当にありがとうございました。