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もっと〇〇が〇〇しないと〇〇できない。ついそう言ってしまう。今よりもっといい条件を望んでいるからいうフレーズ。私自身が、健康で仕事もあり、充分に恵まれていたのに、いつもこんなことを言っていた。
しかし、誰もが自分がそうだと言われたらショックを受けるであろう、がんという病名をつけられたら、今まで当たり前のように持っていた本当はとても大切だったものを失くし、もう二度とお前には手に入らないんだぞと言われてしまったような、何ともむずかゆく、いらいらするような感覚を覚え、その気持ちを抱えたまま生きている。でもそれは、病名がつく前の私の、若さを徐々に失ってきている女性特有の、なんとも言えない焦燥感のようなそれととても似ているかもしれなかった。
そうなると、時間には限りがあることを身をもって知ることになるので、自分に必要なものや大切なことは何かが明確になり、洗練され、純粋でキラキラした何かだけが私の手元に残る。自分でしか守れない、これがあれば自分は大丈夫と言えるような、胸の奥が何だか温かくなるような、自分の何か。
人生、いいことも嫌なこともあるけれど、いいことはたまに与えられる自分への幸運なご褒美になるし、嫌なことも自分の心の在り方を考え直すきっかけと思えばいい。環境や人に変わって欲しいと願うより自分が変わってしまえばいい。そう頭ではわかっている。そうやり過ごしていても、言葉にはできないものとして自分の中に滞っているものは自分の中に滞り続け、何かをきっかけとして、それに触れた時に、なぜかわからないけれど、涙が流れてくる時がある。これは悲しいのか、寂しいのか、辛いのか、何なのかわからないけれど、とにかく自分の中にある何かに触れて、涙が流れてくる。
小学生の頃、自分は3年生くらいだったか、6年生の卒業式に参加した時。6年生は一通りの6年間の思い出や、感謝の言葉を述べ、最後は私たちが花道を作って送り出す。その途中に感極まって、卒業生たちは涙を流しながら卒業の花道を進む。その時、私は涙がポロポロ出てきて、止めようとしてもたくさん出てきて、泣くのを止められなくなった。卒業生が出て行くとそれは止まった。自分でも、人前で泣く子ではなかったので、この涙は何だかよくわからず、教室に戻った。すると、自分たちの担任の先生が怒り狂っていて、全員席に座らされた。どうやら卒業式の間に悪さをした子がいたらしく、その子になぜあんなことをしたのか、とクラス全員の前で問い詰める時間だった。その担任の先生は、すごくヒステリックで、乱暴な口の聞き方をする人で、私のことは多分嫌いだろうなと感じていたし、私もとても怖かった。その子のことを叱った後、〇〇さん。と、急に今度は私の名が呼ばれた。〇〇さんは、何であんなに泣いていたのか。何で?何があったの?と、味方されるというよりは、泣くようなことが何があったのか、何でお前は泣いてたんだという聞かれ方で、とても驚いた。子どもの私は、自分の感情がどうで、感動したからとか6年生が卒業していくのを見て感極まったからだとか言葉にできず、しかもクラス全員の前なもんだからもじもじしていると、だからお前はダメなんだというふうに聞こえることを言われて終わった。
とても悔しかった。何で、共感して人のために泣いたのに怒られたのか意味がわからなかった。しばらく混乱した。そのまま自分が知っている言葉で説明できたらそれだけでよかったのに、私は何も言えなかった。こんな悔しい思いをするくらいなら、思ったことをそのまま人前でも言えればよかったのだ。帰ってからも、親にその話の説明もうまくできなくて、一人抱えて、しばらくすると忘れた。しかし、大人になってもとてもよく覚えている事の一つになった。
映画やドラマで感動作として超大ヒットを飛ばすのは、いろんな人の心に触れるものや共感しやすいもの。感動するポイントは人それぞれ違うので、自分の人生に身近で想像がしやすいことが盛り込んであるとストーリーに引き込まれやすいから。少し占いとも似ているような。鬼滅の刃はハマった。なぜなら私は長女だから。あとは友人に勧められて観た、アメリカのThis Is Usというドラマは多様性の時代に完璧なほどにいろんなものをミックスしているので人種問題に鈍感な日本でも共感が共感を呼んでいる作品だと思う。あれを作った人すごい。日本でもああいうドラマが作って欲しいなあ。
涙を流すことは、わかりやすい喜怒哀楽の感情ではもちろん、人それぞれの琴線に触れること。大人になった自分に居てくれて支えになるのは、一緒に涙を流してくれる人。目の前のその人のために涙を流してくれるなんて素晴らしいことじゃないか。あの担任にそう言ってやりたい。あの時に戻って言い返してやりたい。そしてあの時に悔しくて涙を否定された小さい私という人のために悔し涙を流す。これで終わり。ただ流れていく涙は止めずに、止まるまで流しておけばいい。でないと、次に行けないから。自分のために涙を流すこと。これが自分にとって大切なこと。
私が20代の時に亡くなった、同居していた祖母はTVが大好きで、おばあちゃん。と声をかけるまで夢中でドラマや歌番組を、茶筒(これが結構高くてうまく頭を乗っけてた)を枕にしてごろ寝して観ていた。どんな番組を観ているかはわからなかったが、時には目を拭ってからこちらを振り返った。子どもながらに、TVを観て泣いていたのかと、見ちゃいけなかったかなと申し訳ない気持ちになって、気づかないふりをしてそのまま話すなどして気遣うこともあった。と、思い込んでいた。私も最近、横になっていると、涙が自然に流れてきたり、あくびをすると前より涙が出てくる。目が乾燥している?涙腺が緩んでる?ああ、年をとるってこういうことね、おばあちゃん。TV観て感動して泣いてたんじゃなくて、流れてきちゃうんだわ。私も年をとりました。

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